sairo

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窓を開ける。
深夜。全てが眠る丑三つ時。
それでも遠く見える灯りは、いつまでも潰える事はなく。

不意にどこかで、声が聞こえた。
楽しそうに、夜を歌っている。
寂しそうに、誰かを求めて啼いている。

それに惹かれるようにして、窓から外へと飛び出した。



「あ、夜更かしさんだ」

くすくすと背後から笑い声。
振り返れば、にんまり笑う子供が一人。木の枝に腰掛けて、足を揺らしながらこちらを見下ろしていた。

「安眠妨害しておいて、何を言う」

睨み付けるが、特に堪える様子はなく。

「こんな遠くまで来ておいて、よく言う」

笑いながら返された言葉に、思い切り顔を顰めてみせた。



「キミはいつも優しい。こんな遠くで啼いていても、必ず駆けつけてくれる」
「偶々、だよ。偶々、寝ようとした時に声が聞こえたから。気になってしまっただけの事」

子供に手を引かれて進む、獣道。
純粋な好意の言葉に、そんな事はない、と否定する。
ただ遠くの灯りが、今夜は何故か気になってしまっただけ。
窓を開けたら、偶然啼く声が聞こえただけ。
聞こえないふりも出来た。けれども聞こえぬふりをするには、あまりにも必死に啼いているものだから。
決して子供のためではないのだと、素直になれない言葉は、それでも、と笑う声に静かに解けていく。

「こうして来てくれたのだから。優しい事に、変わりはない」

ありがとう、と感謝を告げられて、それ以上何も言えず。
まぁ、うん、と。間の抜けた自分の声に、何とも言えない気持ちになった。


「今回は、何に啼いていたの?」

気まずい心境に耐えられず、話題を変える。
それに気づいたのだろう。ふふ、と漏れる声に、見えてはいないと分かっていても、熱くなる頬を誤魔化すように俯いた。

「夜が明るくなってしまったからね」

歌うように子供は囁く。

「人間は気づかなくなってしまったね。暗闇を怖れなくなった。遠くない先に、ボクらは皆消えてしまうのだろう」

声は酷く穏やかだ。変わらず笑っているのか、それとも泣いているのか。
手を引かれている今、声だけでは子供が何を思っているのか察する事は出来ない。

「だから昔を思い出していた。暗い暖かな夜を懐かしんで、歌っていたんだよ」

受け入れてしまっているのか。終わりを。
夜に在るモノ達にとって、それは悲しい事ではないのだろう。必然だと、最初から理解してしまっている。
しかし人である自分にとって。
その終わりは、どうしようもなく寂しい事だと思ってしまった。

立ち止まる。引かれていた手を解いた。

「優しい子。不快にさせてしまったかな」

振り返る子供の表情は、声と同じく穏やかで。
少しだけ視線を逸らして、馬鹿、と呟く。拗ねて見せれば、小さな手が宥めるように離した手を包み込んだ。

「ここに啼く声を聞いて姿を見れるのがいるのに、いないように話をしないでほしい」
「そんなつもりではなかったのだけれど。でも、そうだね。キミの前で話してはいけない事だったね」

ごめん、と。謝罪の言葉を口にして。

「行こうか」

静かな声に促され、小さく頷いた。
手を引かれ、再び歩き出す。
話題を振ったのは自分の方であるのに、謝らせてしまった事を心苦しく思いながらも。
今は何も言う気にはなれず、俯いてただ促されるままに暗い道を歩いていた。



「ほら、着いたよ」

立ち止まりかけられた声に、同じように立ち止まり顔を上げる。
いつの間にか、境界を越えていたようだ。
木の上で鳥達が久しぶり、と歌う。
獣達がこちらに駆け寄り、鼻先を押しつける。
背を押され、繋いでいた手を離して促されるままに歩き出す。
月明かりの下。白い花の咲き乱れるその中央に座る、彼女の元へと。

「また呼ばれてしまったのだね。まったく、仕方のない子らだ」
「ひいばあちゃん」

腕を伸ばして彼女に抱きつく。軽く目を見張った彼女は、それでも優しく受け入れてくれ、小さく安堵の息を吐いた。

「どうした?子らに何か言われたか?」
「別に、何も。夜に啼く声を聞いただけ。眠れないほどに啼くから来てみただけ。いつも通り」

背を撫でられて、その温もりに目を閉じる。

「現世は生き難いか?」
「分からない。もうどうでも良いのかもしれない」
「そうか。すまないな」

彼女が謝る事ではない。
この体に妖の血が流れていてもいなくても、それほど変わりはなかったのだろうから。
周りに興味を持てないのは、きっと性分だ。

「ボクらの終わる先の話をして、悲しませてしまったんだ」
「別に、大丈夫」

背後から聞こえた声に、目を開ける。
視線だけを向けて首を振り、否定した。

「いつも通り。さっきの話なんて気にしていない。大丈夫だから」
「相も変わらず、素直でない事だ」
「別に、そんな事はない。優しい子だと言われたばかりだし」

素直になれないのも性分だ。
素直であったならば、とは常に思っている。けれどどうしてもなれないのだから仕方ない。
くすり、と笑われる。
くすくす、くすり。笑い声が響く。

「笑わないで」
「笑いたくもなるさ。お前は言葉だけが素直でないのだから」

言葉以外は、とても素直だと言うのに。
笑う周りに耐えきれず、ぺちぺちと彼女の胸を何度も叩く。肩口に額を擦り寄せれば、背を撫でる手が一層優しくなった。

「すまんすまん。詫びにはならんが、可愛いひ孫に一つ言っておこう」
「…何?」
「近く、南に住まう狸が祝言を挙げるらしい。それを冷やかしに行こうと思っているのだが」

急に何を言っているのか。
顔を上げれば、愉しげに笑う彼女と目が合った。
何故か、とても嫌な予感がした。

「お前も来い。彼方よりもお前の方が美しい花嫁になるのだと、自慢させてくれ」

本当に、何を、言っているのか。
彼女から離れ、数歩下がる。背を撫でていた手が簡単に離れてしまった事が、逆に怖ろしい。
彼女はそれ以上何も言わず。ただ愉しげにこちらの反応を伺っている。
また一歩、後ろに下がりかけ。
けれど何かに背中が当たり、それ以上は下がれなかった。
恐る恐る振り返る。
虚を衝かれたように瞬く目と、視線が交わり。

今は子供の姿をしている彼が、照れたように微笑んだ。



20241206 『眠れないほど』

12/6/2024, 11:11:43 PM