「そこ、めちゃくちゃ地元だよ」
その日。
いつもは何とはなしに集まってくるはずのサークルの部室には、彼ら二人しかいなかった。
現代文芸サークル、という名称はあったものの。
中身は『浅いレベル』で、漫画やゲーム好きが集まっただけのサークルだ。
最近、サークル内でやっているパソコンのオンラインゲームを二人で軽くプレイしつつ。
雑談の中で、最近ハマっている漫画はある? という彼の質問に彼女がとあるタイトルを告げた。
「すごく面白い訳じゃないんだけど、絵が好きなんだよね」
「あ〜、○○で連載している漫画だっけ。ちょっと見たことあるな」
そして。
その漫画の舞台は自分の地元だと、彼が言った。
「え、本当に!?」
驚きで、彼女の声が一際大きくなる。
「本当に、あんな防波堤があって?」
「うん。あの道、通学で——チャリで通ってたよ」
「えー、何それ。すっごい青春!」
「一人で通ってただけで何もなかったけど」
「もったいない!」
ひとしきり、そんな会話が続いて、ふと。
「行って、みる?」
「ん?」
「だから、そこ。——案内しても、いいけど」
彼の提案に、彼女は一息だけ置いて。
「え、いいの!?」
「うん。今週は、暇だし」
ちょっと横を向いた彼の顔に、彼女はドキリと心音が高まり。
それを隠すように、マウスをギュっと握りしめた。
「……じゃあ、お願いしようかな……」
翌々日。
彼らは午前の早い時間から待ち合わせをして、電車に乗り込んだ。
いつもの部室でオンラインゲームをプレイするように。
軽口を交わしながら、彼の通学路でもあった海岸沿いの道をともに歩いた。
晴天で、初秋にしては気温が高く。
海風はベタつくものの、心地良かった。
ややきつめの長い坂を登って、展望台がある公園にも赴いた。
金網のフェンスいっぱいに吊り下げられた南京錠にギョッとしつつ、彼女は笑った。
「うわ、本当にあるんだ! すごい数」
「ここいらじゃ、結構有名だからね。漫画には出てこなかった?」
「恋愛漫画じゃないから、いわれまでは出てこなかったね。だから何でだろ、と思ってたの」
愛にロックをかける、か。
最初に思いついた人はすごいね、と彼女はまた笑った。
「南京錠は、あんまり可愛くないけどさ」
展望台に登って、二人してベンチに座り、自販機で購入したジュースを飲む。
「ね——あそこに鍵をかけようって思ったこと、ある?」
彼女の問いかけに。
彼は一瞬だけ止まって、首を横に振った。
「いや、ないよ。……まだ」
「……まだ?」
いつかは、あるかも? とからかうように彼女が尋ねると、彼は頷いた。
「この先は、あるかもしれない」
「そっかぁ」
その時に流れた空気を。
多分、彼らは忘れることはないはずだ。
確かに——同じものを感じたはず、なのに。
もし違っていたら、と。
今の関係が失われてしまうかもしれない可能性を、恐れて。
ただ風に、沈黙を乗せた。
「ポストの鍵、買ってきたよ」
ホームセンターから戻ってきた連れ合いから、小さな南京錠を受け取る。
いつか見た、菱型金網のフェンスがひしゃげるほどに取り付けられた南京錠のどれよりも、小さい。
「ありがとう」
言い、ながら。
……もしもあの日。
南京錠を用意していたら、どんな未来になっていたのだろうかと。
淡く苦い思いを、笑みで飲み下して。
新居のポストに、南京錠を取り付けた。
5/19/2024, 4:57:58 AM