汀月透子

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〈色とりどり〉

 年始の街は、いつもより浮かれている気がする。
 初売りに家族で出かけるのは、いつ以来だろう。正直、家で寝ていたかった気持ちもある。でも来てみると、思っていたより悪くない。

 百貨店のドアをくぐった瞬間、空気が変わる。外の寒さや人混みから切り離されて、明るさと音楽と人の声が一斉に流れ込んでくる。

「やっぱり混んでるわねえ」

 母はそう言いながらも、どこか楽しそうだ。
 父は入口で一度立ち止まり、フロア案内を見上げてから言った。

「俺、上の書店に行ってくるよ。時間になったらいつもの喫茶店で」

 それぞれの目的に分かれるのは、いつものことだった。私は母のあとについて、婦人服売り場へ向かう。

 店内には、色があふれていた。
 赤いセールの文字、金色の飾り、マネキンが着せられた淡い色のコート。コスメ売り場からは、花の名前がついた香りが漂ってくる。
 普段からこんなに色があっただろうか、と不意に思う。

 「ねえ、これどう思う?」

 母に声をかけられ、マフラーを手に取る。深い緑色で、端に小さな刺繍がある。

 「いいんじゃない。似合いそう」

 そう答えながら、指先で布の感触を確かめる。柔らかくて、少しだけ温かい。

 母は笑って、マフラーを元に戻したあと、何気ない調子で言った。
「何か上の空ね?」
「久しぶりにこういうところに来たから、色々目に入って。
 ぼーっとしちゃった」
「あんた、毎日忙しいもんね。
 朝早くに出て、夜遅くに帰ってくるから」

 責めるでも、同情するでもない声だった。
 ただ事実を言っただけの、静かな口調。
 私は「そうだね」と返しながら、胸の中では自分の在り方に戸惑っていた。

 仕事のある日は、決まった道しか通らない。まだ暗いうちに家を出て、夜になって帰る。見る景色は、グレーのビルと、白い灯と、スマートフォンの画面くらいだ。季節の色が変わっていくことに、気づく余裕もなかった。
 忙しいのは嫌いじゃない。仕事をしている自分は、ちゃんと立っている感じがする。でも、その代わりに、何かを見落としていたのかもしれない。

 エスカレーターで上の階に上がる。
 見下ろすと、フロア全体がひとつの模様みたいに広がっている。人の服の色、紙袋のロゴ、照明の光。それぞれが違うのに、うるさくはない。

 こんなに色とりどりだったっけ。
 街も、世界も。

 単一の景色しか見えていなかったのは、世界が狭かったからじゃない。自分が、そこしか見ていなかっただけだ。そう思うと、少しだけ可笑しくなる。

 時間を見て、母と喫茶店へ向かう。
 奥の席に、父が先に座っていた。紙袋から、分厚い本の背表紙がのぞいている。

 「やっぱり混んでた?」

 父はそう言って笑い、コーヒーを一口飲む。
 テーブルの上には、運ばれてきた紅茶の琥珀色、ショートケーキのイチゴの赤とクリームの白、窓から差し込む冬の光。

 カップを持つと、湯気が立ちのぼる。
 きれいだ、と思う。

 忙しい日々もきっと続くけど、無理に何かを変えなくてもいい。
 顔を上げれば、世界はこんなふうに、ちゃんと色づいている。
 それをきれいだ、と感じる。それだけで十分な気がした。

 そう気づけただけで、有意義な一日だった。

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都会のお店って、何であんなに鮮やかなんでしょうね……デパ地下とかキラキラしすぎて、めまいがします……

1/9/2026, 9:22:42 AM