「あっ」
突然の君の訪問は、いくつになったって慣れない。
*****
「いじっちぃぃ!!助けて助けてたすけて〜!!」
一人黙々と自習をしていた伊地知のいる教室に駆け込んできたのは、一つ上の先輩だった。
「くっ、来曲先輩!?どどどうしたんですか!?」
救助を求める言葉に、思わず声と椅子がひっくり返る。
「ぼくらの教室にぃ!襲来したの!……襲来?というよりセールス?」
「は、え?」
「訪問販売…押し売り?みたいな?今日ななくんもはーくんもいなくてぼくひとりなのにぃ…!」
「えっ……な、何がでしょうか?」
珍しくパニック状態の来曲は支離滅裂で、伊地知には何かが教室に侵入したらしい、ということしかわからない。
しかし、要塞レベルのこの学校に一体何が入れるというのか。侵入できてしまう、ということはそれ以上の……
伊地知は自分の想像に体を震わせる。
が、椋の話の続きで流れが変わった。
「いきなり求愛してきてぇ!!」
「は、はいィ!!?」
「びっくりして逃げてきたのぉ!助けていじっち!!」
「いや、」
「とりあえず来て!」
「ええええまっ待ってくださ…あっ鉛筆…」
意外にも力強く腕を引っ張られ、転がった鉛筆も拾えないまま教室から連れ出された。
学年が変わろうと代わり映えのしない教室の前。
特に何かが起きているようには感じない、いつもの景色。
「…扉は閉まっているようですが。……この中にいるんですか?」
「いるよぉ!!だって聞こえるじゃん!」
「聞こえる…?」
耳を澄ましても物音などは全く聞こえない。
窓を開けているのだろうか、自分の教室にいた時より蝉の鳴き声がずいぶん大きいくらいで、特に変わった様子はないし、気配もない。
「何も聞こえませんが…」
「うそぉ!!だってこんなにおっきい音でミンミンミンミン言ってるじゃぁん!!」
「………ミンミン?」
突然の訪問者の正体は、蝉、というオチに、伊地知は肩の力がガクリと抜けた。
教室の前方、黒板の上に掲げられた校訓の額縁に、大声で鳴く蝉が止まっている。
来曲の言い方があまりに紛らわし過ぎるのは、おそらく、否、絶対わざとだ。
口には出せないが、恨めしさを目に乗せて後ろを振り返る。
伊地知を楯にして肩にしがみつく来曲には上手く伝わったようで。
「だってぇ、あぁ言う言い方したら来てくれるかなって思って」
しれっと言い訳を返される。
こういうところは、二つ上の先輩に似ているなと現実逃避していると、来曲に肩を揺さぶられ、現在に戻ってくる。
「ね、セミ追い出してくれる?…掴める?」
「えっ、それはちょっと」
恐ろしい侵入者に比べれば大したことはないが、蝉だって極力関わりたくはない。
「何か、長いもので飛ばせて、窓の方に誘導しては?」
今二人がいるのは、蝉から一番遠い対角線の、後ろの扉の前。
ななめ後ろのロッカーに掃除用具があるはずだ。
箒の柄などを使えば、と伊地知はアドバイスをしてみるが、猛反対を食らう。
「えー!あいつ飛ぶ時なぜか人の方に向かって飛んできがちなんだよぉ!?しかもセミっておしっこかけてくるらしいしぃ!?こっち来たらどうするのぉ!絶対やだぁ!!」
ゴホッと咽ながら無駄に詳しい蝉情報を披露して嫌がる来曲をなだめていると、なんの前兆もなく、ミン……と突然鳴き声が止まった。
なぜか2人も動きを止めてしまう。
蝉の挙動をじっと見つめること30秒。
飛んだ。
威嚇かと思うような音を立てて、しかもこちら目掛けて。
「ぴゃあああああ」
「うわあああああ」
さながらゾンビに見つかった生存者のごとく、扉をガタガタ揺らしながら勢いよく開け放ち、廊下に転がり逃げる。
が、来曲が扉を開けてすぐ、黒い壁にぶつかった。
その勢いで跳ね返り、それに巻き込まれる形で伊地知も尻もちを付く。
「おい、うるさいぞ。何をしている」
壁……ではなく、ガタイの良い教師の胸板を呆然と眺めていると、そこに追い掛けてきていた蝉が飛んできて。
「「あっ」」
*****
その後、しれっと蝉を掴んで窓から逃がした先生―夜蛾に説教をされたなぁ、と伊地知は懐かしく思う。
なぜそんな回想をしているのか。
それは、あの時のように、突然の訪問に見舞われているからだ。今、現在。
車内に響き渡る大音量の鳴き声。
外に出ようと動こうものなら、その反動でこちらに飛んでくるかもしれない。あの時のことがトラウマとして蘇る。
音の方向的に後部座席のどこかにいるのは間違いないのに、バックミラーで様子を伺ってもどこにいるのか発見できず、ますます恐怖心が煽られる。
もっとひどい目になんて山ほど遭っているのに、どうして蝉ごときに。
あの日、来曲に思ってしまったことが、ブーメランとして己に返ってきて、心の中で来曲へ謝罪する。
そして一言、情けない声が漏れた。
「たすけてください夜蛾学長ぉ…」
【突然の君の訪問。】
8/28/2024, 3:09:09 PM