母は、紫陽花は枯れると醜いから嫌いだと言った。
私は、紫陽花は枯れても、美しいと思う。
私は花は買わない。
枯れても美しいから、捨て時がわからない。
母も花は求めなかった。枯れるのを見るのが嫌だったのだろう。
真逆の理由で私たちは、同じように花と関わる。
半分の空白を埋め合うように。
けれどそれは紫陽花のあずかりしらぬ事。
紫陽花は私たちには聴こえない歌を、きっと歌いながら咲いているだけ。
❁花は、今は時々、母のために供えている。
そして、バラバラになるまでそのまま。
6/13/2024, 10:23:13 AM