紅月 琥珀

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 早く大人になりたいと思っていた。
 でもそんな事、無理なのは分かっていたからせめて君に近づけるように背伸びする。
 本当の大人がどんなものかは分からないけど、私の思う大人になるための努力をした。
 例えば、間食を甘いお菓子からミックスナッツに変えたり。朝食を和食に変えてもらったり、お母さんに家事―――特に料理を教えてもらって、少しでも大人に近付けるように努力する。
 苦手な珈琲を砂糖少なめで、ミルクも入れずに飲む練習したりとか。きっと他人から見たら笑われるような努力だとしても、私にとっては必死に考えて藁にも縋る思いでやった精一杯の背伸びだった。
 でも、そんな努力は無駄なんだというように、君は違う人を婚約者として選んだらしい。
 お母さんから聞いた話。
 でも、彼のお母さんから直接聞いたって言ってたからきっと本当の事なんだろう。
 気持ちは伝えてた。でも、本気にされた事は一度もない事も知っていた。
 だから少しでも意識してもらおうと頑張ってたんだけど、全部無駄だったんだ。
 せめてちゃんと断って欲しかったなと、傷心しながら癖で頼んでしまった微糖の珈琲を一口飲む。
 相変わらず苦くて、珈琲の味なんてよく分からないけど⋯⋯今の私にはこの苦い珈琲くらいが丁度いいと、少し自嘲しながら大嫌いな苦味と一緒に私の初恋をのみ干した。

 ◇ ◇ ◇

 彼女に好きな人がいる事は知っていた。
 それが自分の手の届かない様な大人の男性であることも。
 でも、諦めきれなくて⋯⋯ずっと彼女に寄り添いながら自分自身も変わろうと努力した。
 彼女はその人の為にたくさんの努力をしていた。それが他人から笑われるような事でも一生懸命で、大嫌いな珈琲を好きになろうとも頑張っていたのも知っている。
 でも、その人は彼女を選ばなかったらしい。
 元々告白してても本気には取られず、親愛としての好きを言われ続けていたのだと。
 失恋が分かって直ぐに連絡をくれたらしい彼女と入ったお洒落で静かな雰囲気の喫茶店で、微糖の珈琲を飲みながらそう話された。

「それなら、もう背伸びしない相手にするのはどうかな? 僕なら昔の君も今の君も尊敬してるし、可愛いってずっと思ってる。失恋してこういう事言うのズルいって分かってるけど⋯⋯僕は君の事ずっと好きだった。だから少しでも考えてくれると嬉しい」
 僕はズルいと分かっていたけど、ずっと留めていた気持ちを彼女に吐露した。
 驚いた顔をしてこちらを見つめる彼女に、僕は少し困ってしまったけど⋯⋯この気持ちをこれ以上留めてはおけないから、お互いに前に進むためにも伝えたかった。
 ダメで元々。それならそれで良いから答えだけは教えてね。
 そう言った僕に彼女は困惑しつつも、状況を理解したように顔を少し赤らめながら頷いてくれた。
 その後は何事もなかったかのように僕が振る舞い、他愛のない話をして彼女を家に送ってから帰路につく。

 後日、彼女から「不束者ですがよろしくお願いします」とメッセージが送られてきて、まるで婚約でもするかのような文面だと、クスリと笑いながらも愛おしさが溢れて⋯⋯彼女への愛情を再確認してしまったのはまた別のお話。

5/19/2025, 1:34:22 PM