池上さゆり

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 鮮やかな絵を描くのが好きだった。世界はカラフルで無数の色で彩られていて、それをキャンパスに表現するのが好きだった。特に、透明感を表現できる青は一番好きな色だった。
 私がまだ保育園に通っていた頃、妹が生まれた。大きくなったら一緒に絵を描くんだと楽しみにしていた。そんな妹が大きくなって、言葉をある程度話せるようになった時、私は色を教えた。
「これが赤色。これは青。こっちは緑」
 だが、妹は不思議そうな顔をするだけであまり理解できていないのだと思った。
「これとこれ、同じ色じゃないの?」
 何か良くない予感がすると思って、すぐにお母さんに伝えた。すると、妹はすぐに病院に連れて行かれた。そこで発覚したのは妹が色覚障害を患っているということだった。世界のほとんど赤色一色だという。
 それから私は妹の世界を再現しようと赤色一色で絵を描くようになった。続けていくうちに、少しずつ名が知れるようになっていった。嬉しくなんてなかった。このまま有名になってしまえば、私は私の好きな色鮮やかなこの世界を表現できなくなってしまう。
 だから、大人になって初めて美術館から個展のお誘いが来た時迷ってしまった。美術館が求めているのは、妹の世界であって私の世界ではない。だが、今まで積み重ねてきた絵の意味を誰か一人でも理解してくれるのならと思って引き受けた。個展は好評だったようで、気持ち程度にしか用意していなかったポストカードなどもよく売れた。
 その後妹の世界に革命が起きた。なんと、最新技術により特殊なメガネをかけることで私と変わらない世界を見ることができるようになった。私は感動した。そして、今こそ妹が最も愛する世界を表現するときだと思った。
「私ね、この家が好き。私たち家族だけが居心地がいいって感じられるこのリビングが好き」
 私は今までで一番大きなキャンパスを用意した。十何年ぶりとなるカラフルな絵の具を取り出した。目に映る風景だけが絵じゃない。温もりや生命、安らぎの全てを詰め込んでこそ私の絵だ。
 その絵を完成させたあと、数年ぶりにまた個展のお誘いが来た。私は事情を説明した上で、展示の許可をもらった。
 そして訪れた初日。私は最後の部屋で在廊することにした。目の前に飾った大きな色鮮やかなリビングの絵に感動していた。今、やっと、妹と同じ世界を見られているのだと。
 すると、一人の女子高校生が最後の部屋に入ってきた。私の存在には気づいてなかったようでひどく驚いた顔をしていた。悪い意味であることはわかっていた。
「驚かれましたか」
 思わず話しかけてしまった。彼女はまだ現実が受け入れられないといった顔をしていた。
「私、あなたの描く赤色の世界が好きだったんです。なんで……」
 やはりそうだったかと納得した。
「ありがとうございます。でも、私はプロでもなければ、これで生活をしているわけではありません。所詮、誰かのためにしか絵を描けないただの一般人なのです」
 そうだ。これが本心なのだ。彼女は逃げるようにこの場を去った。芸術家としては作風を一貫できなかった私は不完全なのかもしれない。それでも、一人の姉としては完璧であろうとした私はきっと不完全なんかじゃないと思う。

6/22/2023, 10:02:18 AM