『小学四年生』 “ないものねだり”
修了式の日の帰りはいつもより早い。冷たい風がびゅうびゅうと吹いているのに、太陽はまだはっきりとした影をつくりだしていた。
帰った後に遊ぼうと約束してみんなが楽しそうに下校するなか、ぼくは今日もらった通知表のことばかりを考えていた。
三年生の頃から変わらず成績はいつも真ん中あたりで、これといって得意なこともない。先生からの言葉も、「おとなしい子です」と書かれていただけで、ちっともうれしくない。こんな通知表を見せたら、パパもママもがっかりしちゃうにちがいない。
まだ帰りたくないと思えば思うほど、いつもよりもずっと帰り道が短く感じてきて、不安でいっぱいになる。
「ただいま」
重いドアを開けるとママがキッチンでハンバーグを作っていた。ぼくの大好物のハンバーグだ。
ママはやさしくほほえんで、一年間頑張ったねと言ってぼくをほめてくれた。ぼくはうれしかったけど、なんかちょっと胸が苦しくなって、何もいえないでいた。
パパが修了式のお祝いに早く会社から帰ってきたこともあって、少し早めの晩ごはんになった。テーブルの反対側に座っているパパとママは元気のないぼくを気にしているのか、通知表のことを聞いてこない。このまま見せないでいようかと思ったけれど、やっぱりいけないことに思えてきて、ランドセルから通知表をとり出して、ちょっと迷って、結局渡すことにした。
パパとママは二人でじっと通知表を見ている。ぼくはドキドキして、大好きなハンバーグの味もわからなかった。
ああ、ぼくだってシュンくんみたいに足が速ければよかったのに。そうじゃなかったらダイキくんみたいにクラスの人気者だったら、クミちゃんみたいに友達がいっぱいいたら、中学受験をするって言ってたケンちゃんみたいに頭がよかったら、それともタッくんみたいに宿題を出さずに先生を困らせてみたら?
どんなに考えてみても、ぼくには何もなくて、みんなには何かがあった。ぼくだって何かほしかった。みんなみたいになりたかった。そう思うとなんだかまぶたのおくが熱くなってきて、ごちそうさまも言わずに自分の部屋に走り出していた。
ハンバーグ残しちゃった。せっかくママが作ってくれたのに。ぼくのために早く帰ってきてくれたパパにもひどいことしちゃった。
パパとママに謝りたくって、でも素直になれなくて、ベッドに座って窓からあかあかとした夕焼け空を見ていた。
少ししてからノックが鳴って、パパとママが部屋に入ってきた。二人とも穏やかな表情をしていて、ぼくをはさんで両側に、ベッドに腰をおろした。ぼくは緊張して、ぎゅっと握りこぶしをつくって下を向くことしかできない。すると、パパとママはぼくの手を片方ずつつないで、ぎゅっと抱きしめてくれた。ふたりの体温があたたかくて、ほっとして、じんわりと心がやさしくなるのを感じた。ことばはなくても、ぼくをつつみこむ愛が、ぼくのすべてを受けとめて、信じてくれていることが伝わってきた。
ぼくはぼくでいいんだ。誰一人としてぼくの代わりはいなくて、ぼくらしく生きていていいんだ。
「ありがとう、パパ、ママ」
ぼくは顔を上げると、はっきりとそう言葉にした。
三月なのに、今日が人生で一番あたたかい日になった。
瞳に映った夕焼け空にまたたく星が、夜の群青ににじんで、そしてやさしく揺れた。
3/26/2024, 2:22:31 PM