sairo

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この街は、見えない糸で溢れかえっている。
それに気づいたのはいつだっただろうか。
自分にだけ見える、不思議な糸。赤いようで、青いような。白かと思えば、黒に見えるその糸は、人と人とを繋いでいる。
その糸について、誰かに話したことはない。話そうと思ったことは何度かある。けれど話そうとする度に、必ず何かが起きる。まるで話すなと言わんばかりに。

「多いなぁ」

嘆息しながら、速足で学校へと向かう。
糸を避けることはしない。見えない糸は触れることもできないからだ。
見えるがために避けたくなる気持ちを堪えながら、無心で道を歩いていく。
糸を気にせず楽しげに談笑しながら歩く生徒たちが羨ましい。何故自分だけがと、いつものように心の内だけで不満を露にして糸を睨んだ。

「――そういえば」

ふと、疑問が沸き上がる。
糸は人と人とを繋いでいる。しかし、糸にはその先があった。
地面。家の中。学校。海岸。先は様々だが、多くは同じ場所へ向けて伸びている。
糸はどこまで続いているのか、あるいはどこから来ているのかを確かめたことはない。今まで気にもならなかったことが、何故か気になって仕方がなかった。
立ち止まり逡巡する。糸の先を確かめた所で、意味があるのか分からない。歩いていけないほどの遠い所まで伸びている可能性だってある。

「でも、気になるからなぁ」

誰にでもなく言い訳をして、通学路を逸れて歩き出す。
学校に行った所で授業がある訳ではないのだ。そもそも卒業を控えたこの時期は自由登校で、一日ぐらい休んでも何の問題もない。
誕生日の計画を練っている友人は怒るかもしれないが、プレゼントよりも皆で遊びに行きたいと伝えている。それに、サプライズにするべきかを悩んでいたようであるから問題はないだろう。

「飽きたら戻ればいいだけだしね」

小さく笑い、糸に集中する。いくつもの糸が向かう先を目指して駆け出した。



そうして辿り着いたのは、一本の大きな木が立つだけのとても静かな場所だった。
糸の先は木の幹の中に溶け込むようにして消えている。しばらく幹を見つめ、ふと気づいて顔を上げた。

「ここって……」

木に見覚えがあった。
いつ見たのだろうか。眉を寄せて記憶を辿る。
忘れてはいけないはずだった。焦りに似た感情が込み上げ、さらに眉が寄る。

「いつだったかな……確か……」
「こんな所で何してんの?」

不意に後ろから声をかけられ、声にならない悲鳴が上がる。
弾かれたように振り返れば、小さな少女がこちらを見て笑っていた。

「えっと、あの……」
「ねぇ、こんな所で変な顔して何を考えてるの?」

首を傾げて問われるものの、何も言えずに呆然と少女を見つめる。
何を言えばいいのか分からない。少女との間に陽を浴びて煌めく透明の糸を見て、息を呑んだ。

「学校をさぼるのはいけないんじゃないかな」
「自由、登校……だから」

震える唇が、ようやく言葉を形にする。
胸が苦しくて、息が上手に吸えない。聞きたいこと、言いたいことはたくさんあるのに、言葉として形にするのが難しい。
忘れてはいけないことを忘れてしまったことに、酷く痛みを覚えていた。

「糸、は……」
「糸?あぁ、これのこと?」

掠れ、呻くような呟きに、少女は目の前の透明な糸を掴んで見せる。

「これはね、絆だよ。人と人、人と土地を繋ぐ、見えないけれど確かにある糸」
「絆……」

あぁ、と声が漏れた。
納得すると同時に、堪え切れなかった思いが滴となって溢れ落ちる。泣きながら、しゃくり上げながら、ただ静かに笑った。

「そっか、だから私には見えたんだ」
「そうだね。終わりの日に生まれた、希望の子だから」

両親の言葉を思い出す。
何もかもを失って、それでも私は生まれてきてくれたのだと。小さな命は両親だけでなく、避難所の人たちにとっての希望になったのだと。
写真で見たこの場所には、この木以外何もなかった。けれど皆この場所を離れず、一から街を作り上げた。

だからこの街は、糸で溢れかえっていたのだ。

「それじゃあ、もう行くね。体に気をつけて、私の分まで長生きしてよ」
「うん……ありがとう、お姉ちゃん」

あの日、行ってきますと言って家を出た姉が帰ってくることはなかったという。
写真の中で笑う、成長することのない姉。時々感じる気配に、姉の優しさを感じていた。
これからもきっと、側にいてくれるのだろう。繋ぐ糸は確かにあるのだから。

「大好き」

姿の見えなくなった姉へ思いを告げて、涙を拭う。木に背を向けて歩き出す。
もうすぐ誕生日だ。その日は一日中楽しんで、笑って、感謝を伝えよう。

「そうしよう。私は希望の子なんだから」

密かに決めて、笑顔を浮かべながら駆け出した。



20260306 『絆』

3/6/2026, 5:19:50 PM