薄墨

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「この世にあまねく真理や理論や思想たちは、みな双子で生まれるのですよ」
「従順で正しくて都合の良い優等生と、神秘的で悪辣で融通の効かない問題児との双子で、生まれるのです。」

ぱちぱちと、爆ぜて踊る焚き火の前で、“先生”は言った。
赤い火が舐めるように、僕たちの横顔を照らしていた。
先生の顔は、いつも通りに穏やかな微笑を湛えていた。

「ですから、完璧な理論や思想や真理など存在し得ないわけです。どんな発見もどんな技術も、全て問題なく上手くいくとは限らない。どの子もみな、双子ですからね。私たちに都合の良い優等生がこちらに笑ってくれることもあれば、私たちを嫌う方の子がこちらを睨むこともある。」
そういうのを…そう付け足しながら、先生はこちらをぐるりと見回した。

先生の目線は、僕たちの目をまっすぐ捉えていた。

プロメテウスの火、というのです。
先生は言った。

ぎゃっぎゃっぎゃ
何かが茂みの奥で鳴いた。

先生は焚き火に枝を焚べた。
「だから、上手くいかなくたっていいのです。それは双子のうちの、私たちにとって都合の悪い方が、こちらを向いていたということにすぎないのですから」

あの夜、僕たちはみな火を囲んで、先生の静かな声に、耳を傾けていた。
戦争と兵器と様々な科学実験でボロボロになった地域の、奪還作戦及び治安確保作戦が開始される前の夜だった。

僕たちが最期に経験した、思案に耽る、静かな夜だった。

僕たちは地獄に向かっている。
僕たちは捨て駒の部隊である。
僕たちは成功を掴めないだろう。
生きて帰れないだろう。
この作戦を命じられてから、そんな現実は僕たちの共通意識にうっすらと染みついていた。

だからこそ、この部隊の中核を成していた、皆が頼る人間は“先生”だった。
強靭で戦闘に長けた歴戦の上官でも。
喧嘩に強く情に篤い同期でもなく。

穏やかに達観し、死にも不条理にも悲劇にも動じない、彼こそが、僕たちの心の救いで、だからこそ、彼は“先生”であった。

「上手くいかなくたっていいのです。」
先生は枝を折りながら、繰り返し呟いた。
「何事も。上手くいかなくたって…上手くいかない時は如何なることにもあるのです」

それは、非常な現実とその現実に抱いた僕たちの悲観的共通意識が、僕たちの心の、使命感やプライドや愛や…そんな部分についた傷に優しく、ゆっくりと染み込んでいた。

「上手くいかなくたっていいのです。上手くいかなくたって仕方がないこともある」
熱病に犯されたような無茶苦茶な現実の中で、ただ一つ先生の言葉だけは、僕たちの悲観と諦観を肯定してくれていた。

上手くいかなくたっていいのです。
先生が繰り返し、ぽつんと呟く。
ひっきりなしに、焚き火が、ぱちぱちと踊っていた。

穏やかな夜だった。
…静かな夜だった。

8/9/2024, 2:44:55 PM