薄墨

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黴の青臭い匂いが篭っていた。
ほろほろに崩れた石の壁が、指を呑む。
壁の感覚を右手に、僕たちは歩いていた。

地下道は薄暗かった。
水が微かに流れる音が、ところどころ聞こえる。
足は、軽くぬかるみに沈んだり、捲れた石畳につまづいたりする。
ネズミの目がこちらに光ったかと思うと、素早く去っていく。

もうどのくらい進んだか、よく分かっていなかった。
一筋の光すらない、汚臭すら鳴りを顰めた半ば遺跡のような旧地下道を、僕たちは蝋燭も持たずに突き進んだ。

右手の崩れかけた壁だけが、僕たちの道だった。

僕も、後ろを歩くチビたちも、無言だった。
何を言うべきか、どう騒ぐべきかも分からなかった。

だから、みんな黙って歩いた。
暗闇の中、足下だけを見て。

大人たちの喧嘩が始まってから、僕たちは遊び場を失った。
居場所がいっぺんになくなってしまった。
大人たちは睨み合い、僕らの親は石を投げられて、背中を丸め縮めていた。

僕らの親は、僕らをこれまで育ててきた大人たちは、僕らに言った。
「この地下道を通って、これを持ち出しておくれ。それが上手くいけば、それが届けば、それだけで元の生活に戻れるさ。戻れるはずなんだ…」

大人たちがそう言って差し出した封筒を握って、僕たちは地下へ潜った。
行き先は王都の方角。隣町。

僕たちは、地上の大人たちに見つからないように、地下道を歩き続けていた。
早く元の生活に戻りたかった。
親と一緒に町へ出て、遠巻きに頭を下げる大人たちに手を振りながら、遊び場へ、太陽の下を駆けていきたかった。

母さんと召使いのおばさんが用意してくれる、動きにくいピカピカの靴を履いて、アイロンの折り目が固い、柔らかな服を着て、「汚さないでくださいよ」なんて小言を聞き流しながら、外へ出て…。

そんな生活に戻りたかった。

僕たちは、封筒を胸にしっかりと押し付けて抱いていた。
ここではこれが、僕たちの一筋の光なのだ。
この黴臭い真っ暗影の中のたった一筋の、光。

僕たちは歩き続けた。
この上…隣町の地下道の上の町道は、崩れかかっているらしい。
隣町には、長らく、領主様以外の人がいないのだ、と、大人たちが言っていた。

だから、隣町につけば見えるはずだ。
町の道の穴から漏れ出る一筋の光が。

爪先がかくん、と傾いた。
石畳がすこし浮いていたらしい。
ここ、気をつけて。
掠れた声でそれだけ伝える。
それは後ろへ後ろへと伝わっていく。

僕たちは前を向いて歩き続けた。
胸に押し抱いた一筋の光を消さないために。
見えてくるはずの一筋の光を浴びるために。

青黒い闇が大きく口を開けていた。
果てしなく、果てしなく。

11/5/2024, 1:36:13 PM