【部屋の片隅で】
僕は編み物が趣味だった。「男の子なのに珍しいね」とか言われても、怪訝そうな顔をされても、やめようとは思わなかった。より難しく繊細なものを編みたくて『上手になりますように』と願った。でも、日本には編み物の神様はいないらしい。
日本にはいなくても、どこかもっと毛糸や羊と縁が深い場所には編み物の神様がいるかもしれない。僕は何かを編むたびに『上手に編めますように』『きちんと完成しますように』『良いものができますように』と祈っていた。
別に信心深いわけじゃない。ちょっとした願掛け、自分なりのジンクスみたいな感じで、祈るといっても、何に向けてというわけでもなかった。なのにその祈りが、まさか異世界の女神に届いているとは。
交通事故に遭って、これはもう助からないなと思った時。編み物の女神を名乗る声が、僕を異世界に転生させると言った。
熱心に祈っていたからそれを叶える、編み物の才能を授けると言われたんだけど、僕はその言葉を遮った。
「それよりも肩凝りにならない体をください。あと腱鞘炎と腰痛と眼精疲労も防いで欲しいです。技術は自分で身につけるので」
夢だと思っていたんだよ。まさか本当に転生できるとは思わなかった。こうなるとわかっていれば、もっと別のことを頼んだのに。ここは剣と魔法の世界で、魔物もいるし日本よりずっと治安が悪いみたいなんだ。ここで生きていくなら、剣の才能とか魔法の属性とか、そういうものが欲しかったよ。
幸い、今世の僕は貴族で、家族も使用人たちも僕を守ってくれている。僕自身は戦うのが苦手で魔法の腕前も普通以下、貴族じゃなかったら結構苦労したかもしれない。
父上は末っ子の僕に甘くて、僕が「毛糸と編み針が欲しい」と言えば、編み物は貴族のすることじゃないと言いながらも、期待以上のものを揃えてくれた。
僕には編み物の女神の加護がある。それがどれほどのものか、試してみるつもりでマフラーを編んだ。今世では初めてのことで、手が動くか心配だったけど、すぐに前世の感覚が戻ってきた。
そこそこ長い時間編んでみた。肩凝りもせず手も痛くならない。どうやら今の僕は編み物で疲れるということがないらしい。これは凄い。前世でもこの体が欲しかった。
貴族のお坊っちゃんが自分で編むということで、手触りの良い高品質な毛糸が用意されていた。これだけ良い毛糸なら良いものができるという確信があって、編むのも楽しかった。僕はつい、癖で祈っていた。『これを使う誰かが寒さから守られますように』と。
完成したマフラーを魔導具で鑑定してみたのは、どんな説明が表示されるかという好奇心からだった。結果を見た僕はその場で硬直した。
マフラーには銘が付いていた。『愛し子の祈りのマフラー』という銘が。そして特殊な効果があったのだ。
その効果は『絶対防寒』という。どんなに寒くてもどんなに薄着でも、このマフラーさえ身に着けていたら寒さから守られる……氷属性の魔法を防ぐこともできるらしい。ある意味、僕が祈った通りの効果だった。おまけに鑑定結果には製作者の名前が入っている。
こんなもの、外に出せるわけがない。最早ちょっとした神器である。僕が女神の加護を持っていることもバレるだろうし。
どうしよう……もし、これが誰かに知られたら。別の物も編めるのかとか言われて、どこかに軟禁でもされて、編み続けることを強要されるかもしれない。流石にそれは嫌だ。
マフラーを燃やすことも考えた。けど、父上が「何か編めたのかい?」と楽しみにしているようなのだ。完成したものを見せないわけにもいかないだろう……
きっと、父上は、今の家族は、僕が女神の愛し子でも、ちゃんと守ってくれる。だけどどう話そうか。信じてもらえるだろうか。打ち明ける覚悟ができていない。もう少しだけ時間が欲しい。
ひとまず、このマフラーは何かで包むとかして……とにかく、僕の部屋の片隅ででも、どうにか隠しておこうと思った。
翌日。マフラーはあっさりメイドに発見されて、僕は父上に全てを白状する羽目になった。マフラーは改めて鑑定され、父上は商売にしようと言い出した。
……え、売るの?
これ、売っていいの?
本当に大丈夫なのだろうか、と思っている間に、ほんの数日で僕のための商会が作られた。気付けば公爵閣下やこの国の宰相様にまで手回しされているみたいで……
とうとう国王陛下からも呼び出しを受けた。
やだよ、怖いよ、行きたくない。
僕は毛糸を抱えて蹲った。
「坊っちゃん、諦めてください。今日は謁見のための衣装の仮縫いですよ。ほら、立って」
容赦なくメイドに腕を掴まれた。魔法で身体強化されると僕にはもう抵抗できない。
ああ、本当に……加護がもらえるなら、もっと別の何かが良かったよ……
女神様。僕はあなたの愛し子なのでしょう。どうか、しっかり守ってください。お願いしますよ。
12/7/2024, 3:26:41 PM