冬支度
「ん。」
休日のなんてことのない朝、特に予定もなく録りためていたドラマを消化していた時にふと通知が鳴った。この前までは冷たい方が良かったけど、今は絶対にホットコーヒー一択のそのマグカップを置き、画面に目をやる。 31日の11時ごろに着くという端的な文字にこちらも端的に返す。言葉にこそできなかったが、「今年も来てくれるんだ」と心の奥で安堵しているのを感じた。
冷たい部屋に息を吐き、押し入れのまあまあな大部分を占拠しているそれをいそいそと引っ張り出す。毎年、スペースを要するのに嫌気がさして処分しようか迷うそのコタツ布団を今年も洗濯機にかけた。何かの中毒性があるのではないかと疑ってしまうほどの居心地の良さと、年に一度しか使わないくせに我が物顔でその必要性を主張する自分以外のもう一人の反論に負けて今年も冬のメンバー入りだ。
洗濯している間に、Tシャツばかりの服入れをひっくり返して厚手のパーカー達を詰める。去年は納まっていたはずのそれがなぜか入りきらないのに首を傾げながら力技でしまい込む。服の棚を整理していると、カチャと聞き慣れない音がした。何事かと取り出してみると黒の細身のベルト。自分が持っているのとは少し違うやつ。見覚えのないそれにもしやと思ってメッセージを送る。秒でついた既読の後、案の定「それ俺のやわー」と返ってきたので次会う時に持って帰ってと送る。すると、「ええやん。実家なんやからそんぐらい置いとかせて。」と悪びれもしない文が届いた。
「実家で年越したくないねんな…」
引越し祝いと言いつつ、自分が飲みたいだけであろう酒を片手にやってきた彼はそうぼやいた。あまり家族がどんな人かという話題は聞かないものの、姪がかわいいだの何だのと写真や動画を見せてきていたので頻繁に実家に帰っているのは知っていた。だから彼がそんなことを言い出すのはかなり驚いた。訳を聞くと、妹が結婚してからというものの親から早く結婚しないのかと言われることが増えたらしい。特に去年は妹が出産のために家を空け、十何年ぶりかの家族三人での年越しで肩身が狭くなったと言う。彼が言うには、今は仕事も忙しいからそんなことを考えている暇はないし、第一そんな相手もいないらしい。不貞腐れていたかと思うと、彼は名案だというように口を開いた。
「なぁ、年越しここでしたらあかん?」
そこから、二人での年越しが恒例になった。新幹線代だってバカにならないはずだし、仕事が忙しいのか、29日、30日…とこちらに着く日も遅くなっているのに、彼はここに来ることをやめない。手土産は相変わらずの酒と、ちょっと良い蕎麦。午前中は二人でスーパーに行って、蕎麦と一緒に食べる天麩羅や明日食べるお餅、そして酒を買い足す。夜は、ソファを背もたれにしながらコタツにくるまり、だらだらとテレビを見る。そして日付が変わり、二人で空いた缶で乾杯して静かな年明けを迎える。
彼は冗談まじりにウチのことを「実家」だと言う。彼の本当の実家には「彼女の家」に泊まると言いつつ、難を逃れているらしい。本当はそのどちらでも無いのに。彼の中で自分の存在は本当に家族に近いような親友なのかもしれない。気を許してくれているのは分かるし、居心地が良いと楽しそうにしているのだって分かる。でも、彼は知らない。彼が開けっ広げに話す過去の恋愛の話にどれだけ心を痛めているかも、実家と言われることをどれだけ複雑に思っているかも。ジャーン!と嬉しそうに笑いながら薬指のリングを見せて、「会わせたいわ」なんて間延びした声で酒を煽る姿を夢に見ては、最悪の寝起きを迎えていることだって知るはずがないのだ。年末はウチで過ごしたって、所詮会えるのは片手で数えられるぐらいの日数。LINEや電話は頻繁にしていても、毎年クリスマスなんていう恋人のイベントはどこで何をしているのかを知る由も無い。自分に言ってこないだけでもう既に良い人がいるのかもしれないと焦っていても、どうにもならない。ただじっと、彼からの帰りの連絡を待ち、コタツを温めて迎え入れる。いつか、ここが「彼女の家」となり、「実家」となることを心の底で願いながら冬支度をする。
11/6/2025, 11:38:34 PM