藍星

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夕焼けがきれいに見えるいつものお散歩道。
もう完全に日が沈み、空も黄昏色から濃い藍色になってきている。
寒くもなってきたが、私はまだ帰路につく気にはなれなかった。

一人の日は、久しぶりだなぁ。


今晩は、帰宅しても私一人。だから、夜のお散歩を始めようとしていた。
でも、帰宅しても一人だと再認識した途端、心が寒くなってきた。


おかしいな。一人でいるときって、こんなに寒かったっけ。
この私が、寒いと感じるなんて。
あんなに寒さには平気だった私が。

寒さなんて気のせいなんて言っていた、かつての私が今の私を見たら何て言うかな。
・・きっと、何も言わないだろう。
呆れて言葉が出ないか、赤の他人を見るように、全く眼中にないだろうな。
別の表現をするなら、信じないだろう。 

そして、そんなかつての私なら、
こんな寂しさという心の寒さを知ることはなく、同時に愛のぬくもりと幸せを知ることもなかったのだろう。



私が初めて彼への想いを自覚した時、私は罪悪感でいっぱいだった。

誰かを好きになることは、その誰かを傷つけて不幸にすることだと思っていた。
そう思っていたのは、私に想いを寄せてきた相手が私のことを傷つけて、脅して怖がらせ、嫌悪感を抱かせる行動をしてきたからだ。
私と相手だけのことだったならまだしも、家族や友人にも波及し、金銭的犯罪や性犯罪的な不祥事にまで発展してしまった。

私は、全て自分が悪いと思った。

傷つけられたのも、怖い思いをしたのも、犯罪的不祥事にまで発展してしまったのも、私の人間としての技量や人間としての精神力が足りないからだと思った。

それからはひたすら努力を積み重ねた。とにかく今のままではダメなんだと、自分にムチを打ち続けた。でも、どこまでやればいいのかわからなかった。ただ努力をやめることが怖くて、ムチを打つのを止めるのが怖くて・・また、何か起こっても努力はしているという言い訳を失いたくなくて。その思いで、心身共にすり減らし続けていた。

だから、私の彼への想いを認めてしまったら、彼を傷つけてしまう。
不幸にしてしまう。
私は誰かを幸せになんて絶対にできない。本当に相手を大切に想うのなら、私は一人で生きていくべき人間なんだ。

一人で生きていくためには、一人で何でもできる人間にならないと。頼りになる人がいても頼ってはいけない。いずれ私は一人になる。なら、最初から一人になってしまえばいい。

彼は私とは別の世界にいるんだ。



より成果を得るため、食事や睡眠も削り始めた。だけど、その生きるための行為を減らしたことにより、私の体はいよいよ踏ん張りがきかなくなってしまい病院へ送られた。

結果、いくつか病気が見つかり、体の機能もずいぶんと低下してしまった。



夜のお散歩を始めた私の元に、彼から電話がかかってきた。

–––もしもし?今は何してた?–––

あっ・・お風呂に入ろうかなって。
と、夜のお散歩をしていると言ったら心配させると思い、嘘をついた。

–––そっか。なら、今すぐ家に帰れよ。少なくとも、いつも通りの時間には寝られるようにな。まだまだ夜は寒いんだから。–––

どうやら、夜のお散歩をしていたのがバレていたようだ。
どうしてわかったのかときいた。

–––君が一人になった時の行動はだいたい想像がつく。特に夜は、君の心の傷が出てきやすいからな。その痛みを感じたくなくて、良からぬことをしがちだ。今だって、気持ちが沈んでたような声がしたぞ。–––

私は返す言葉がなかった。
そして返事がないことは、彼の言葉が当たっていることを表していることになる。

–––オレが帰った時元気でなくてもいいから、君におかえりって、迎えてもらいたいからさ。せめて・・ちゃんと生きててくれよ。–––

軽く言っているように装っているけれど、その言葉の深いところには、真摯な願いがあるように感じた。


ねえ・・あなたは私と一緒にいて後悔してない?私に想われてて不幸になってない?

無意識に口から
ありのままのの気持ちが溢れていた。
その答えは聞きたいようで、聞きたくない。だけど、取り消す言葉は喉の奥に引っかかって出てこなかった。

彼は一拍おいてから
懐かしむような声で答えた。
–––そういえば、君は最初のうちは無視するわけではなかったけれど、オレが関わろうとするとすぐ心を固くして閉じこもってたよな。
口調は優しいし丁寧だけど、常にどこかで警戒して隠れている敵を探しているような感じで常に心の距離を取られてたなぁ。
あの時は、正直ちょっと嫌だった。
君に対して悪いことをしたつもりはないのに、オレの何に警戒しているのかもわからなかったから、なおさら。ずっと一方的に警戒されててさ。
でも、今ならわかる。
あれはオレを大切に想うからこその、あの時の君なりの思いやりの行動だったんだって。君は自分と一緒にいる人が不幸になるって思っている。だからあえて自分から距離を置いてたんだよな。–––

彼はフゥと、一息をついた。
そして、優しい声で続ける。

–––そういう行動を続けられるくらいの君の一途さっていうか、誠実さっていうか、強い信念は、オレはすごいと思う。その強い信念はそれだけ強くて優しい愛だとも感じるんだ。
オレはそんな君に想われて、一緒にいられて・・ずっとこうしていたいって思うくらいに、幸せだよ。–––

そっか・・そう、なんだ。
あたたかい涙が一筋、頬を流れた。
きっと、電話で顔が見えなくても、彼には私がどんな表情なのかわかっているのだろう。私も彼が電話の向こうで、優しく笑っているのがわかるのだから。

–––あのさ・・
君にとって、オレはどうなんだ?
君はオレといて、後悔したり不幸になったりしてないか?–––

珍しく不安そうな、弱い声だ。
やわらかくてもろい普段は隠れている心の深いところから、溢れてきたような思いやりと優しさを感じる声だった。

私は、その言葉を
大切に受け止めるつもりで答えた。
あなたのその大きな心は、私は最初、別世界の存在だと感じるほどに、とても遠くて尊くて手を伸ばしたいけど伸ばすだけおこがましいって思うくらいにあたたかく輝いていた。
その輝きには、ずっとそのまま美しく輝き続けてほしいって思った。
でも、ある時気づいたの。私はその輝きとぬくもりが満ちている世界に、行きたいって望んでいることに。
まるで、今まで読んだことのない物語の本を手に取りたいって思っているように。その物語は私に読める字で書いてあるのかとか、私が触るだけで燃えてしまわないかって不安もあった。だけど、私はその物語の世界が本当に求めていたものだったんだって思うの。その物語は、私の心にあなたと同じような光を与えてくれるから。
その光はとても安心するの。
そして、今はこう望んでるの。
このあたたかい愛と光の物語をあなたと一緒にこれからも作っていきたいって。

少し遠回しな台詞になってしまったかなと思いつつ、彼の言葉を待っていた。

彼は数秒後に、
ありがとう。と言ってくれた。

–––じゃあ、早く帰れよ。その物語の続きは君がいないと作れないんだから。–––

ふふっ。わかったよ。あなたもなるべく早く帰ってきてね。あっ、お土産に甘いものでもあったら、作業が進むと思うよ。

–––君が今すぐ帰るって約束したら、オレも買って帰るって約束する。–––

わかった。約束だからね。


すっかり暗くなってしまった帰路を急ぐ。
しかし、寒くなっていた心はいつのまにか
すっかりあたたかくなっていた。

きっと、明日からも作られていく恋物語は、この心のようにあたたかく輝いていることだろう。

5/19/2024, 12:10:43 AM