戦いが終わった。
あの日は、よく晴れた空だった。
マスターの声がイヤホンに響いた。
「お疲れさま、帰ってきていいよ」
それがマスターの最後の言葉だった。
みんな一斉に帰路についた。
マスターに会える。ただそれだけを信じて。
ただでさえ速度の速い足を、人間みたいに全速力で回した。
火花が散っていたけれど、壊れてもいいと思っていた。
私たちは荒野を走った。
ぽつんと建った木製の家の窓から、マスターが椅子に腰掛けているのが見えた。
1キロ先からでも分かる。
あれはいつものように窓辺の椅子に座って、マスターが自分で挽いたコーヒーを飲みながら読書をしている時の姿だ。
もうすぐ会える。
みな我先にとドアに向かった。
クリスマスツリーの下にあるプレゼントに群がる子どもたちのように、私たちはマスターのいる部屋にもみくちゃになりながら入った。
実際手足の関節が外れてあらぬ方向に曲がっているものもいた。
「マスター!」
私が目にしたのは、マスターが椅子に座っている姿だった。寝ているようにこっくりと俯いている。
そして耳にしたのは、マスターの「おかえり」という声ではなく、
「マスター?」
ひゅう、という開いた窓から吹き抜ける風の音だった。
マスターは死んでいた。
寝ているように死んでいた。
腹から血を流して、今にも起きそうな微笑みをたたえて。
テーブルの上には、使われた形跡のない拳銃があった。
「マスター?」
何度声を掛けても、マスターは起きなかった。
死んでいるのだから当然だ。
部屋には争った形跡はなかったが、見慣れない革靴の跡がいくつかあった。
私たちは、行き場を失ってしまった。
戦いが終わった今、マスターの命令なくして私たちは使命を果たせない。
数日が経つと、充電のなくなったものからぽつり、ぽつりと動きを止めていった。
私は充電の仕方を知っていたから、こっそりと生き長らえていた。
マスターのそばを離れたくなかった。
そろそろ蛆虫のわき出す彼のそばには、充電のなくなった数体の仲間が寄り添っていた。
残り数体の仲間たちの寿命もそろそろ終わる。
残された私が片を付けなければいけないだろう。
何かあった時は。マスターからもそう言われていたのだ。
「ひとりでも生きていけるね」
マスターが言った言葉。
あれはどういう意味で言ったのだろう。
またどこかの部屋で充電を求める音がする。
今日で二回目。これで最後だろう。
最後の一体が動かなくなったのを見て、私は家に爆薬を仕掛けた。
離れた場所でスイッチを押した。
マスターと仲間たちは荒野の隅で火薬と炎に包まれた。
これで私の仕事はあとひとつで終わりだ。
街に行き、家政人として自分を売り込んだあと記憶データを消す。
マスターの精巧な造りのおかげで、仕事先はすぐに決まった。
恰幅のいい紳士と身長の高い青年の元に勤めることとなった。私が勤めるのに相応しい金持ちそうな屋敷だ。マスターが昔言っていた通りの新しい主人。
家政人だというのにわざわざ部屋を与えてくれた新しい主人は、記憶データを消す耳の裏のスイッチを押すとにっこりと笑った。
「明日からよろしくね」
私は新しい主人に嘘をついた。
私はまだ、マスターのことを覚えている。
記憶データを消すには、両の耳裏のスイッチを同時に押さなければいけない。
「ごめんなさい」
人知れず私は呟いた。
明日からまっさらな家政人アンドロイドとして、演技をしていかなければいけない。
私はマスターの最後の微笑みを無くすのが嫌で、記憶データが消せなかった。
5/9『忘れられない、いつまでも。』
一年前。
よく晴れたあの日は、君を失った日だった。
寒くないのに凍えそうな空気に紅葉が赤く染まって。
君が泣きながらヒールを鳴らして去っていく。
怒っているような足取りに揺れる髪は、僕が好きなさらさらのロングヘア。
艷やかな黒髪は太陽の光を反射して輝いていた。
「なんでって言われてもねぇ」
ぼやく僕を振り返ることなく、彼女は街路樹に囲まれた道路を進んでいく。
今日で見納めだと分かっていたのなら、もっと触らせてもらえば良かったかもしれない。
そうだ、一週間前に部屋に泊まった時、もっと堪能しておくんだった。
ひりひりと痛みだした頬と心が、じわじわときみを失ったことを分からせる。
でも後悔はしていない。
僕は好きに生きたいんだ。
誰にも嘘はつきたくないんだ。
浮気した僕の頬に赤く手形がついていた。
5/8『一年前』
5/9/2026, 11:03:59 AM