髪弄り

Open App

「あぁ、つがれたぁ」
自家用船に乗り込むと、思わず乾いた悲鳴がでる。

この仕事を続けてはや十年、連日は人手不足もあって、朝から晩までたっぷり十二時間、労働を強いられている。

休日は二週間前、一昔前なら超過労働で訴えを起こせただろうが、度重なる政治運動の結果、この宇宙での制度化はしてない。
まあ、その分、経済は豊かで、仕事も多いわけだが。

すっかり定番になったAIナビを起動する。
球形で浮かぶ一つ目のロボ、複雑な道順から最短ルートを出してくれる便利な奴だ。

「行き先はどちらでしょうか?」
「マムシ亭」
AIはすぐに反応し、ホログラムで経路を提示した。こんな働いてるんだから、たまには酒を飲んでもバチは当たらないだろう。

風吹く様なエンジンの音、はじめて起動した時は感動したものだが、いまはもう何も感じない。

宇宙流通は品物を荷台に積んで各地に届ける仕事だ。荒れ狂うタイタンや母なる地球がお客様。世界中を旅できるといえば、聞こえはいいが、過酷なもので、夢もロマンもあったもんじゃない。

荷物下ろすには体力も必要だし、星の制度を知っとかないと何回切符を切られるかわからない。最初は酷いもんだった。

何より、宇宙の旅は思ったよりも退屈だ。
星は美しいが、一年もすれば飽きるし、生き物はてんで見当たらない。

ずっと孤独に宇宙を漂うわけだから、時間感覚は麻痺するし、身体の調子もおかしくなる。

こんなこと考えたって、今の仕事が嫌になるだけだ。忘れよう。
丁度店にもついたついたことだ。

マムシ亭は、何百年と続く老舗の居酒屋だ。酒もつまみも安くて美味い。
最高のいきつけの店だ。

暖簾を通れば、もうすっかり廃れた木造内装が目に映る。時間も時間ということで、他の客は男が一人いるくらいだ。

「唐揚げ、ビール、それと枝豆をお願いします」
「あいよ!」

こんな時間だというのに店主からは全く眠気を感じない。毎度思うことだが、この人はいつ寝てるんだろうか?

巷で噂の肉体改造でもしているのかと思うほどテキパキ働いている。羨ましいかぎりだ。

「ひっ…ひっ……!ひっ」
さっきからやかましい。声のする方、隣の席に目をやると先ほどの男が、グラス片手にうつ伏せで泣いている。まあこういう変なやつがいるのはままあることだ。

嫌な感じがしたので、少し離れた席に移動し、唐揚げをビールで流し込む。仕事終わりの一杯としては最高級だ。

「くぅ…!」
感嘆の声が漏れる。合法薬物が現れても、ビール代わるものはないと思う。

「あの……、ずみません」

驚いてそっちを向くと、あの男が隣の席に座っていた。いつの間にこっちにきたのだろう。

「なんですか」
あえて低い声で言う。小さな楽しみを邪魔しないでほしい。

「あの…この、これに、入っていただけませんか」

紙束を差し出してくる。
見ると、”スキャーム保険会社”とある。
どうやら契約を求めているようだ。

「間に合ってます」
既に会社指定の保険に入っているので、俺には必要ない。そもそも、今は技術の進歩により、だいたいの事故は検知され、防がれる。

ここ含む発展した宇宙では、保険はもはや不要の産物、今も必要なのはまだ開拓されてない星くらいだろう。

それでも入るのは、万が一の船の衝突事故に備えてのことだ。破損したパーツは貴重なものが多いので、補填をしてもらうわけだ。

「いやいや、それでもですね、ほら、船が遭難されても、こちらの方で補償できますし、ね、どうでしょう。見たところ、運送屋さんなんですよね」

意外とめざとい、これで目元に涙がなく、場所が場所じゃなければ、良いセールスだったかもしれない。

「大丈夫です。最近の船には、遭難しても観測システムが働きますから、

それにこの年間料金じゃ、とても割に合いませんよ。船の事故なんて、二十年、いや五十年に一度あるかないかですから」

「そう…ですか」
男はカウンターにうつ伏せ、また泣きはじめる。
「ええ、わかってます。もうここじゃ、需要がないなんて、採算承知の上やってるんです」「こんな料金じゃ誰も入ってくれません、正直にやるのがやっぱダメなのか、でも人を騙したら客商売失格ですから、やっぱ正しい、私はまちがってない」
泣きながら騒ぐ男、うるさい、こっちも疲れてるんだ。そっと立ち上がって離れようとした時。

「ええ、ええ、そうですよね、私はそうやってくるからここに回されたんです。

十二時間越えて働いても、成果ださなきゃ意味もないですから、無能な働き者って私のことを言うんですよ」

このセリフを聞いた途端、俺は男に同情を禁じえなかった。俺はセールスをしているわけではないが、何時間も働く苦労は知ってる。特にセールスなんて、回り回って成果ゼロ、徒労に終わることもあるだろう。

帰ってもあるのは安物の人口食品、契約とらなきゃ給料なし、少し話を聞いてやることにした。
「店長、この人にビールを一つ」
「え、ちょっといただけませんよ」
「まあまあ」
隣に戻る。
「ここで会ったのも何かの縁、互いの苦労話でもしましょうよ」
世界の終わりみたいな顔が少し明るくなり、ハキハキと喋りはじめた。

男はあの保険会社に十年も勤めていて、その道のベテランだという。座右の銘は正直で、それで契約を今まで取れていたという。

だが、先ほど話した通り、保険というのは時代錯誤の産物に成りつつある。倒産からの逃亡として、詐欺じみた値段で売りつけるしかなくなったという。

「もううちなんて零細も零細、超零細って言ってもいいくらいです。それでもいっぱい働きました、貢献しました。
時代は残酷ですよー!」

そうだそうだと頷く、互いに十年で長期労働仲間、もうすっかり意気投合し、できあがっていた。

「やっぱもうあそこなんでやめたります、未来はない、記念です。今日はある分だけ金使ってやる!」
男は数えきれんほどの注文をし、カウンターは団体客でもいるのかという格好になった。
「ほら、〇〇さんもこれ飲んで飲んで」
ぐびっといっぱい、にはいと飲む。
「遠慮せず、ほらほら」
「ああ、俺ももうあんな企業ごめんだ、やめてやる」
「でしょでしょ、ほらほら記念記念」
勧められた焼酎を一気飲み、それと同時に俺意識を失った。

目を覚ます。男の姿は既になく、キッチンで店主が皿を洗っていた。

「いま…何時ですか」
「地球時間で8時ですね」
そんな寝ていたのか、流石に帰らなければ。
そう思い荷物を探すが、見当たらない。
「ここに落ちてた鞄、知りませんか?」
「いや、見てないですね」

寝起きで二日酔いの頭を必死に働かせ、目を凝らすが、どこにもない。荷物だけでなく、外に置いてあったはずの船も消えていた。

「あの人はどうしましたか」
「もうお帰りになられました」

からんからんと鈴が鳴る。

「簡単に人を信用しちゃいけないな」
一人、呟いた。
物は盗られてしまったから、帰りは銀河鉄道にでも乗るしかない。不幸中の幸いか、お金は僅かながら残っている。

なんだかもはや清々しい。

「このまま会社も辞めますか」

窓から見下ろす宇宙は、星雲ひとつとない、美しいものだった。

『快晴』

4/14/2023, 10:23:40 AM