薄墨

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冴えた夜空には星が輝いている。
唐突に風が吹く。
冷たく強い風だ。

風が吹いていく方角には、昴が冴え冴えと光っている。
星の入り東風だな。
呟いて舵を切る。
星を目指して吹く北東風は、身を切るような鋭い冷たさだ。

波が高くなって、船腹で弾ける。
波を乗り越えるたびに、がくん、と足元が動く。

星の入り東風が吹くと冬がやって来る。
昔、親父から教わった。

親父は島を渡り歩きながら、船とともに海上で暮らし、魚を取って生活を立てる海猫族の一人だった。
こんがりと日に焼けた体で、豪快に笑い、陸で住む人は怒っているのではないかと怯えるほどのデカい声で、いつも話した。

親父は厳ついが、気のいい男だった。
海の只中のポツンと残る離島に捨てられた、孤児の俺を拾ったのも、親父だ。

高い波を乗り越えた。
船が大きく揺れた。

親父にはカミさんも子どももいなかった。
どちらも、身体が弱く、ある秋の日に、冷たい潮風に当たりすぎたのか、風邪を拗らせて…ある日、甲板に出てきたところを吹きつけた突風に攫われて、亡くなったのだという。
「冬が近くなるとな、強い北東風が吹くことがある。昴に向けて吹く強い風だ。星の入り東風といってな、冬のはじまりを告げる風だ。かなり強いから、秋の終わりから冬の初めには気をつけなきゃならん」
秋の日、船員のおじさんに船の操縦を習う俺の背中に、親父はそう教えてくれた。

親父のカミさんと子どもを攫ったのは、その星の入り東風だ。

親父は船の全て、海での生活の術を俺に教えきった後、俺に船を与えてくれた。
「これでお前も一人前だ。海へ出て、好きに暮らすといいさ」

その親父が死んだのは、去年の晩秋、今頃のことだった。
風を見誤って台風に巻き込まれて、船は全滅だったという。

これから毎年、秋になって冬のはじまりを告げる星の入り東風が吹く度に、俺はきっと親父を思い出す。
強く気高い海の男であった親父を。
あんなに広い背中で、でも海風には一生敵わなかった親父を。

今日は風が強い。
冷たく鋭い北風が、ごうと吹いている。
冬のはじまりだ。

強い北風に吹きさらされているというのに、昴は、強く冴え冴えと輝いていた。

11/30/2024, 4:01:45 AM