水蓮

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昨日は初めて投稿を休んだ。

まあ、私の投稿なんてただのひとりごとようなもの。

待つ人なんて少なかろう。

今日のテーマは〝澄んだ瞳〟だと言う。

人は歳を重ねるごとに色眼鏡をつけ始める。

偏見をしたり、物事に過剰になったり。

純粋無垢な人間はどれほどいるのだろう。

この世に生まれ、親・友人・恋人などと過ごす中で色々な考え方の相違で苦しむことがある。

私のこの投稿を貴方は初めてだろうか。

それとも割と読んでくれている人なのだろうか。

私は鬱だ。

それ自体が既に色眼鏡で見られる対象だ。

【心が弱い】【甘え】【やれば出来る】【頑張れ】

私の父も例に漏れず、こういうことを平気で言ってきた。

私はもう限界だった。だから言った。

【これ以上、死ぬ気で頑張らなければならないのなら、私は死を選ぶ】

そう言った時の両親の顔はかなり引きつっていた。

そして、父は本で理解した気になっている。

私が歌をうたえば

【鬱だからこんな歌が好きなんだ。】

私が本を読めば

【鬱だからこんな本を読むんだ。】

そう言ってくる。

私はその【鬱だから】が嫌いだ。

私は私だ。

鬱だろうか鬱でなかろうが。

私は1人しか居ない。

その私が好きな物を病気だからと決めつける。

それの思考がどんなに愚劣極まりないか。


〝澄んだ瞳〟を持つ純粋無垢で優しい人は

誰も否定せずに、優しく接してくれるのだろう。


嗚呼、これも偏見なのだろうか。

7/30/2023, 7:05:22 PM