待ち合わせまで時間があったので持参した文庫本を読み耽っていると、ペちんと額に痛みが走った。電車は既に次の駅へ向かう助走をしていて、目の前には振袖姿のフユカさんが立っていた。
フユカさんの振袖姿を見た時、可愛いとか綺麗とかを思う前に、心臓を何かが這いずるよう様な気持ち悪さに襲われた。それは、日陰の中で燻っていた稚拙な独占欲が、彼女の明るさにあてられて芽吹いた痛みだった。
「どう? 似合うでしょ?」
成人式終わりのフユカさんはそう言って笑った。電車のプラットフォームには、彼女と同じような振袖姿の人がちらほらと見受けられる。楽しそうに袖を振る彼女はとても綺麗だと思ったし、とても似合っていた。だから、とても遠くに感じた。十八歳と二十歳、たかが二年だけど、それは確かな事実だった。自分はまだ大人ではなく、彼女はもう大人になったのだ。
「どうしたの?」
いつもと違う事に気付いたフユカさんが、心配そうにしていた。何を言うべきか考えて、何も言えなくなる。ただ唇を引き結ぶだけの自分が、情けなくて仕方なかった。
電車の利用客達が迷惑そうに避けていく。フユカさんに手を引かれる形で駅から出た。
「言わなきゃ分からないって、いつも君が言ってるでしょ。お姉さんに話してみ?」
駅周辺にある噴水を丸く囲む形で設置されたベンチに腰掛けて、フユカさんはそう言った。喧嘩した時はいつもそう言って話し合っていた。なけなしのプライドと脆弱な信念を天秤にかけて、信念を取った。感じたこと、思ったこと、出来る限り言葉にしていく。フユカさんは、途切れながら吐き出されていくそれらをじっと聞いていた。
「君さ、たまに超可愛い時あるよね。普段は生意気なのに」
「なんですかそれ」
「私はね」フユカさんはそう言って、何もない空をぼんやりと見上げた。
「本読んでる君が嫌いだった。高校の時ね」
初耳だ。
「何を話しても曖昧に返事するだけで、こっちの話全然聞かないし、何時間もずっとそうしてるし」
「すいません」
「何より、自分とは違うって感じるのが、一番嫌だった」
遠くでクラクションが鳴った。雑踏と信号の音が、混ざって消えた。
「本、読んでみようって頑張った時期もあったけどね。全然ダメだった」
「そう、だったんですね」
「そうだよ。」
どこか拗ねたような顔をした後、フユカさんはいたずらっぽく微笑んだ。
「だから、今の情けない君は大好きだよ。私のこと本当に大切なんだなーって思うと、可愛くて仕方ない」
恥ずかしいのと情けないのが、声にならないくらいの吐息になった。
「それで? 私に何か言うことあるんじゃない?」
「本読んでる時、反応薄くてごめんなさい。以後気をつけます」
「他には?」
他にあるらしい。考えても分からなかったので、言えなかったことを言うことにした。
「今日のフユカさんも、綺麗だと思います」
「うん、ありがと」
フユカさんは勢いをつけて立ち上がった。手を繋いでいるので、つられて立ち上がる。上着のポケットに押し込んだ文庫本の重さを、今更のように思い出した。
1/10/2024, 11:45:50 PM