店に入ると既に窓際の席に座っていた彼女が気づいてこっちに向かって手を振ってきた。店員が察して、すぐにお水をお持ちしますね、と言って厨房の方へ消えていった。
「ごめんね、待った?」
「ううん、さっき来たとこだから大丈夫」
このカフェの窓際の席からは外の公園が見える。そこにはまぁまぁ立派な並木道があって、秋になると葉っぱが綺麗に色づき写真を撮りに沢山の人が訪れるのだ。僕らも毎年あの並木道の下を歩いた。秋が深まって来た頃合いには写真も撮った。その時期までもう間もなくだけど、今年はそんなことをしないだろう。なんなら、この店に2人で来るのも今日で最後になるはずだ。
「出発の日、決まったの?」
店員にアイスコーヒーを頼んでから僕のほうから切り出した。彼女はバッグから1枚のチケットを取り出す。僕の苦手な英語がびっしり書いてある。かろうじて読めたのは“For Los Angeles”くらいだった。
「2週間後になったの。荷造り終わるか微妙でさ」
苦笑いを浮かべながら彼女は手元のティーカップに手を伸ばす。彼女が決まって頼むキャラメルマキアート。ほんのり見える湯気が上ってゆくのを僕はぼーっと見つめていた。そうしたら、彼女と目が合った。何を話そうか躊躇っていたら僕のアイスコーヒーが来た。気持ちを隠すように飲む。一気に飲みたかった。でも、これを飲み干したら今度こそ彼女とお別れなのを知っているからそれは容易にできなかった。
「お互い、身体にだけは気をつけようね」
彼女の声は何の翳りもなく澄んでいた。小心者の僕の心に刺さるような、凛とした声。彼女はもう、前を向いているのだ。止まっているのは僕だけ。それを思い知らされた声音だった。
「そうだね」
僕は相槌を打つだけで精一杯なのに、キミはもう、もっとずっと広いどこかを見ている。1つの別れを惜しむ時間はもう終わったんだろう。だからこんなにも真っ直ぐな表情なんだな。そんなキミを、未練がましい顔で送り出すのは良くないよね。キミが変わったように僕も変わらなきゃ。進まなきゃ。
「うまくいくことを願ってるよ。元気でね」
彼女の顔を真正面から見つめて言った。そして、残っていたアイスコーヒーを一気に飲み干した。彼女の瞳が真ん丸く見開かれる。その瞳の中に、硬い表情をした僕が居た。
「そろそろ行こうか」
「あ、うん」
伝票を取って立ち上がる僕の後を彼女が慌ててついてくる。会計を済ませて店の外に出た。相変わらずまだ日本の夏特有の湿気を纏った暑さが漂っていた。今年の夏も暑かったな。こんなに暑いんじゃ、あの木々が紅葉するにはまだまだ程遠い気がする。
彼女を近くの駅まで送るために一緒に歩き改札前で別れた。改札をくぐって、もう一度僕の方へ振り向いて最後にバイバイと手を振る彼女に僕も振り返した。これが正真正銘の、本当の別れだった。1人になってもと来た道を歩く。並木道の緑の葉がどこか生き生きとして見えた。この葉が赤や黄色になるまでに、僕は何か見つけられるかな。そんな、漠然としたことを考えると、不思議と寂しさなんて感情はどこかへ消えてゆくのだった。
8/21/2023, 4:19:32 AM