私の名前
名前は愛する人からの最初の贈り物で、どんな人でもそのまだ名前もない命を前にしてその子の人生に想いを馳せ名付けてくださった人がいるってことです。もう、そこで愛されていないなんて嘘だし、ちゃんと自分の命を見つめていてくださった人がいるのだということは、名前を書くたび思い出したほうが良い。
私の名前は父が考えて考えてつけてくれた名だ。未熟児で生まれた私は少し多めに新生児室にいて、大きな声でよく泣く赤ん坊で名前が何時までもないから産婦人科の看護師さんたちに「お父さん、早く名前つけてあげて」と言われたそうだ。
父は40前にして初めて授かった娘につける名前を拘りに拘って最初は豪華な名や洒落た珍しい名をと考えたらしいのですが、結局最後に行き着いたのは、小学1年生で習う漢字で優しい字体でけれどきちんと漢字があり、そして苗字が変わっても姓名判断で凶にはならない画数どんな苗字が上に来てもそれなりにしまる名前でと考えて考えて結局無難な名前になりました。
太郎や花子ではないけれど、そんな感覚の命名です。子供が育たない時代だったら捨松とかおひろいとかつける親の深い愛情を感じたりして、私は私の名前の由来を祖母から聞かされてからというもの、自分の名を書くたび父の顔が浮かんで、しっかり生きなきゃなと背筋が伸びる想いがするのと同時にとても優しい気持ちになります。
私は結構私の名前を気に入っています。
7/20/2024, 11:00:34 AM