名無しさん

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『失恋キャンディ』
そんな大層な名前が印刷されたキャンディの袋が目の前にある。
自慢じゃないが自分は生まれてこの方、『失恋』というものを体験したことがない。
いや、ただしくは『恋』そのものを感じたことがないのだ。
だから友人たちが、やれアイドルの誰それはかっこよくてドキドキするだの、俳優の何某«なにがし»を見ると胸がきゅうっとするだの、そんなことをきゃらきゃらと話していても、さっぱり分からないのだ。
だが、ここにあるこの『失恋キャンディ』とやらを食べれば、自分にもそんな友人たちの気持ちの、ほんの僅かでも理解することが出来るのかもしれない。
私はある決意をすると、鞄から取りだしたスマホを立ち上げ、キャッシュレスアプリを起動した。

ありがとうございましたという店員の定型文を背に、例のキャンディ袋を手にした私は意気揚々とコンビニを出る。使命を果たしたスマホを鞄にしまってから、ビッとキャンディの袋を開けた。中を覗くと色とりどりの『失恋』たちが自分を選んでと私を見上げていた。
顔を上げ、袋を見ずにえいやと手を突っ込む。そして最初に触れた小袋をそっと摘み上げた。
藤の涙雨と印刷されているキャンディの小袋をあけて、中に入っていた薄紫色のアメをころりと手のひらの上に転がした。
そのまま少しだけころころと手のひらで転がしたあと、ぽいと口へ放り込む。
「……これが失恋の味?」
想像していたものと違って、すごく人工的なその甘さにガッカリした。そのあとも袋の中にあった『失恋キャンディ』はどれもこれも在り来りな味で、こんなものに少ないお小遣いの一部を使ってしまったことをちょっぴり後悔した。
そうして、最後の一粒を口に放り込んだ瞬間、私は気が付いた。
「ああ、そっか。たしかに失恋の味だ」
そう、私は『失恋』という憧れに、今この瞬間、失恋したのだから。

6/3/2024, 6:09:03 PM