涙の理由を明かさないでいる予定だった。
普段は強固なパスワードで保護しているが、その瞬間だけは隙を見せた。
画面スリープせずに、彼女は立った。
そのスマホを一度でいいから確認したい、見てみたいと思っていた同棲の彼。
無防備に遠ざかっていく気配、服のこすれ合う感じ。ドアの閉める音。その後に聞こえるシャワーの蛇口。ひねる。
このときしかないと、言語道断の指紋を付けた。
付き合っている人のスマホを見てはいけない。
どんなに気になっていようとも、尊大な疑心を抱いていようとも。でも、でも……。
メール、LINE、SNS。
一応ゲームアカウントもチェックした。
特に心配したことの形跡は見当たらなかった。
良かった、という意味の、ふう。
彼女のシャワーは彼の三倍の時間がかかる。
まだいじくっててもいいだろうと彼は考えた。
ネットサーフィンでもしてやろうか。
あわよくば履歴をのぞいて……と思ってアプリを開くと、直前に開いていたページが画面に浮上する。
とある人のNoteだった。
もしかして、自分で書いた文章なのか。
スクロールで内容を遡って見るが、0.5スクロールで最上部に達した。投稿タイトル、一分で終わる本文。
どうやら、嘆きのものだった。
「あなたのいた席はずいぶんと長い道程の果てにたどり着いたものだった。それがたった一度の過ちで、今では地の底へ。
いっときの感情のもとに切り捨ててあげてもいいのだが、ファンにも矜持というものがある。ハトがカラスになったとしても、鳥好きな人でありたい。」
除菌シートを一枚とり、画面を傾けた。
不躾の指紋を拭き取る時に気づいた。
すでに乾いた、いくつもの涙の雫の痕跡が。
彼女は十年ほど推していたらしい。
高校生のつらい時期を乗り越える糧にしていたらしい。
一方彼は、まだ三年くらいしか推されていない。
同棲期間はまだ三カ月。
彼女はシャワールームに留まっている。
涙の理由を可能な限り排除する予定だった。
スマホの画面をきれいに拭い取ってから、彼はこたつから立ち上がった。
10/10/2024, 10:01:35 AM