手を離した瞬間に、なんだか泣きたくなった。じわり。滲んでくる水分を堪えようと、ぐっとこめかみに力を入れる。ひくりと口元が引き攣る。それをめざとく見つけた彼女が、悪戯っぽく瞳を瞬かせた。
「なあに?やっぱり寂しくなっちゃった?」
「全然、まったく、これっぽっちも」
「おやまあ、ひどいなあ。私は寂しいけどなあ」
柔らかに緩められた唇が紡ぐ言葉はいつも通りに優しくて甘い。彼女が入れる砂糖三杯入りのミルクティーを思わせるくらいに、私に向けてのそれはいつだってそうだった。
「まあ、とはいえ今生の別れというわけでもなし。そろそろ私は行くとしようか。私がいないからって、ふらふら遊んで帰っちゃダメだよ、いいね?」
白く長い指先がくしゃりと前髪を撫ぜて離れていく。自然と目がそこに吸い寄せられる。私はその指の温かさを、柔らかさを知っている。
ぱしり。
「……ええと、どうした?何か言い忘れたことでもあった?」
少しばかり目を開いて、困惑したように彼女が呟く。気づけば、私の手は彼女の指先を捕まえていた。
「……連絡、するから」
「ああ、うん。そうだね……?」
「無理はしすぎないで。器用も親切もいいけど、自分の限界を超えても気付かないのはただの馬鹿」
「あはは、肝に銘じておくよ」
「…………私のこと、忘れないで」
パッと開いた瞳孔が、ゆるりと緩められていく。二、三度うろ、と視線を惑わせた彼女は、やがて私に視線を合わすと頬を持ち上げて花笑んだ。
「もちろん。どこにいっても、世界がひっくり返ったって忘れない。君は私の特別だもの」
その笑顔をじっと網膜に焼き付ける。胸の奥にころんと転がった彼女の言葉が、じんわりと熱を持って眩しく光っている。
「それにしても突然どうしたの?あれか、旅路に出る私への出血大サービスってやつかな?」
「あんたの声も、指も、体温も、しばらくなくなるんだって思った。そうしたら、体が勝手に動いてた。……寂しいとか、柄じゃないけど」
「そう。そっか。……そっかあ」
息をついて瞬く彼女の前で、どうにも居がたくて身じろぎをする。視線を落とせば、風に飛ばされた木の葉が石にもたれて傾いている。彼女の声は相変わらず呆れるほどに甘い。
彼女は私に甘い。いつも通りに、いつだって。
「すぐだよ、きっと。便りも出すし、空もつながっているし。だから大丈夫。すぐだよ、きっと」
ささやく彼女の長い髪を、春風が優しく揺らしていた。
11/16/2022, 4:35:28 PM