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 今日で世界が終わるとしたら、最期に何をしたいか。
「私は君と一緒に過ごしたいな」
「……酒にでも酔ったか、冗談も休み休み言え」
 10分前は、領地の酒の銘柄について談義していたはずだ。それがいつの間にか過去のベストセラー恋愛小説の話題に変わってしまった。
「冗談じゃないよ本当だよ。大臣との会議や諸王とのやり取りで時間を費やす最期より、気心の知れた相手と一緒に過ごして終わる人生の方がよほど良いじゃないか」
「太子の台詞とは思えんな。世界の滅亡を阻止して国を守るのが仕事だろ」
 一宮じゃない。誰が耳をすましているのかわからない地方公務先で、他愛もない話とはいえ太子の素質を疑われるような発言は止めたかった。しかし、この不毛な会話を太子は続けたいらしい。
「世界が滅ぶ期限がわかってて手の施しようもないなら、最期くらいやりたいことをやって終わりたいよ」
「……何かあったか?」
 いくら気心が知れている仲とはいえ、ここまで本心を曝け出すのは珍しい。よくよく太子の顔を見ると、少しやつれているようだった。
「ん、まあ色々。私一応娘婿なんだけどなあ」
「…………」
 太子の舅は6人いる。実母の後ろ盾がさほど期待できなかった太子は、即位後の盤石な基盤作りのために手中に収めたい家の娘を娶った。結果、今や太子派なんて呼ばれる一大派閥ができた反面、権力を持つ外戚との関係に苦労している。
 よくやってられるな、と思う。昔から。
「おっ、くれるの。ありがとう」
「これで最後だぞ、明日も明後日も人生は続くんだから」
 とぽとぽ酒を注ぐと、太子は破顔した。酒好きで体質も弱くない方だが、万一のことがあってはならないと普段から自制している。
 本当によくやっている。自分ならとっくに逃げ出している。

「マーヤ、いつかの約束の期限はまだ来てない?」
 学舎卒業の一年前だった。久々に校内に姿を見せた太子は、帰ろうとする真穂を昔の愛称で呼び止めた。
 嫌な予感がした。マーヤ呼びに、妙に緊張した様子。昔戯れにした約束。最近耳に入ってくる一花の噂。
 妃選びが上手くいっていないのは知っていた。元々太子に釣り合う娘が少ないことや、継承問題のゴタゴタがあった後で周囲も様子見をしていた時期だった。タイミングが悪かった。きっとお家騒動がなければ、妃の件だってすんなり決まったはずだ。
「あの約束は婿養子にって意味だろ。私が六花の庭園の主人になるのは約束が違う」
「わかっている。あの時の約束は、お互い本気にしていたわけじゃない戯れの言葉だったってこともわかっている」
 太子は本気だった。
 それから真穂の生活は一変した。

「マーヤは何をしたい?」
「そんなあり得ない出来事は来ないさ」
「それじゃ死ぬ前に何をしたい?」
 こいつ世界の滅亡から変えやがった、真穂は自分の老後を想像した。
 子供はいるだろう。美琴妃や小雪妃のように後継者を望まれているわけでもなし、澪子妃のように神力が高い子供を期待されているわけでもない。自分の子供が帝に即位するとは思えない。実家には跡継ぎがいるから王家と縁組することこともないだろう。
 他の多くの皇子皇女のように新たな王に冊封されるか、他王家か上級貴族と結婚か、神官職か王宮の名誉職に就くか。その頃には、誰が後継者になるか粗方決まって、太子妃も選定されているはずだ。私の一花の役割はもう終わっているだろう。
「誰の監視もなく買い物がしたい……死ぬ前というか晩年にしたいことだな」
「いいじゃん、今は飲んでみたい地酒があっても酒屋で試飲なんてできないしねえ」
「おい、あんたもいるのか」
「えー、だって私一人で買い物したことないし」
「ボンボンめ」
 地酒の試飲ね……。
 昔ながらの酒屋で、偏屈な老婆の隣で楽しそうに酒を飲む爺。実際は近くに護衛が付いているに違いない。太子も自分もそんな簡単に街を散策できる立場になるとは思えないが、小説の中で世界が滅亡するように想像だけなら自由だろう。
 案外悪くないかもと真穂は思った。

6/8/2023, 7:11:45 AM