ゆじび

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「一輪の花」


コンクリートの隙間から咲いている花。
あの花はどんな花だったのだろうか。

雨の中のバス停。
雨が降っているようで屋根に当たり弾ける音が辺りに響く。
持っている傘からは、雨水が伝いポトポトとゆっくりと垂れている。
バス停の中のベンチは湿気かなにかで少し濡れている。それでも着ているスカートに雨水が染みない程度であったため、ベンチにそっと腰を降ろす。
湿気で少し跳ねている肩まで伸びた髪の毛にそっと触れる。雨に濡れてギシギシしている。
早く家に帰り、お風呂に入りたいと考える。
バスが来るまでぼーっと待っていると視界の端に一輪の花が映った。
「黒色のコスモス」
コンクリートの隙間から咲いたコスモスは少し枯れているのか端の方からだんだん茶色がかってきている。
枯れてしまうのももうすぐだろう。
確かあの日もこのバス停でバスを待っていた。

あの日はよく晴れ渡った夜で、月がバス停を照らしていた。
その頃は私の髪は胸まであって、黒く輝く自分の髪が誇りだった。
あの日もベンチに座って帰りのバスを待っていた。
ぼーっとしながら、月を見て何気なく「綺麗」だと。
そう思った。
視界の端に映るのは一輪の花。
コンクリートの段差の隙間から咲いたコスモス。
桃色の可愛らしい花だったの。
秋らしくて月に照らされるコスモスが綺麗だと思った

しばらくして、少し茶色がかった髪の毛でなんだか
大型犬のような男性がバス停にやって来た。
遠慮してバス停の端の方で静かに月を見ていた。
彼はふと、口から零れたかのように言った。
「月が綺麗ですね。」
私は、月ばかりを見て私に対して遠慮しているような男性がなにか悪いことをたくらんでいるとは思えなかった。私は警戒心を解いて言った。
「そう、ですね。」
彼は驚きと焦りと恐らく恥じらいで顔を赤く染めて
言った。
「すみません。口に出ていましたか?」
「はい。でも分かります。
こんなに綺麗な月。久しぶりです。」
私は彼の可愛らしさな頬を緩ませて言った。
「本当に綺麗な月ですね。」
彼は照れ臭そうに言った。
「隣、座ってもいいですか?」

彼との会話はとても楽しかった。
またいつか会いましょうと、それだけ言ってバスに
乗り込んだ。
また会えたらいいな。
そう思った。

どうやら彼とは会社が近いらしく、よくバス停で
出会うようになった。
彼と仕事の愚痴を言い合うようになって、私は彼の事を少し気になってきた。

冬が終わりそうな日。
コスモスはすっかり枯れてしまい、なにもないバス停
その日は雨が降っていた。
彼が遅れてバス停に訪れた。
「お疲れ様です。」
彼が言った。
「お疲れ様です。」
それに返して言った。
「月、綺麗ですね。」
彼は言った。
「見えませんが、きっと雲の奥で輝いていますよ。」
慣れた会話だった。
「今日、仕事辞めたんです。」
彼がふと言った。
私は驚いた。
なにも言えなくなった。
「なので、ここに来るのも恐らく今日が最後です。」
私は少し泣きそうだった。
楽しい時間が無くなってしまうのは悲しく、彼に逢えなくなると、辛い。
会話は途切れ雨音だけが響いていた。
「雨、降りやみませんね。」
彼が言った。
「...そう、ですね。」
バスが来るまでの少しの時間。
やけに星と月が綺麗な気がした。
彼と肩が触れ合い温かさが伝わって来る。

バスが来た。
「さようなら。」そう言えなかった。
また、逢いたくて。寂しくて。
だから私は言った。
「また、今度。」
彼は驚いたように笑って言った。
「はい。また今度。」


あれ以来彼とは逢っていない。
それでも私のこの気持ちは、
ずっと移り変わる事を知らない。


10/13/2025, 3:13:23 PM