初音くろ

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今日のテーマ
《梅雨》





電車を降り、駅を出ようとしたら外はザーザー降りの雨。
梅雨の真っ最中、朝から雨も降ってたから傘は当然持ってるけど、こんな降りの強い中を歩くのは避けたい。
少し待てば小降りになるだろうか。
電車が遅れるかもしれないからと早めに出て来たからまだ少し時間の余裕はある。
このままここで様子を見るか、それともどこかで時間を潰すか。
人の通行の妨げにならないよう端に寄りつつ空を見上げていたらポンと肩を叩かれた。

「おはよう、そっちも雨宿り?」
「お、おはようございます」

声をかけてきたのは同じ部活の先輩だった。
同じ中学出身という縁もあって、こうして気さくに話しかけてくれる。
もっともそれはわたしにだけじゃない。誰に対しても同じ。男女問わず親切で優しいみんなの兄貴分みたいな人。
特に際立ったイケメンではないけど、わたし以外にも憧れてる子は多いらしい。

そっか、先輩ってこの時間の電車なんだ。
それともわたしと同じで、雨での遅延を見越して早く来ただけだろうか。
何にしても、こうして朝から会えて言葉を交わせるのは幸運以外の何ものでもない。
梅雨に入って雨の日が続くのは憂鬱でしかなかったけど、こんな恩恵があるなら雨も悪くないな、なんて調子のいいことを思ってしまう。

「しかし、朝からよく降るよなあ」
「ほんとですよねえ」

話しながら、先輩は何やらスマホを操作している。
あ、もしかして彼女か誰かと待ち合わせとか?
そういう話は聞いたことないけど、噂に疎いわたしが知らないだけという可能性も大いに有り得る。
せっかくの浮かれた気持ちが瞬時にぺしゃんと凹んだけど、横目で覗き見たスマホの画面はメッセージアプリのトーク画面じゃなくて水色や青や緑で埋め尽くされた画像のようなものだった。

「何見てるんですか?」
「天気アプリの雨雲レーダーなんだけど……これは暫く小降りになりそうにないな。しょうがない、バス使うか」
「バス?」
「あれ? 知らない? 学校のすぐ近くってわけにはいかないけど、ちょっと行ったとこにバス停あるんだよ」
「そうなんですか!? 全然知らなかった!」

驚きに目を丸くしながら、そういえば入試の時の学校案内にバスで来るルートも載ってたかもし思い出す。
入学して2ヶ月もしてそんなことも知らないのかと呆れられちゃったかな。
恐る恐る隣を見上げれば、先輩は得意げな顔で笑ってた。
ああ、そういう顔も大好きです! 朝からいいもの拝めました! 神様ありがとう!

「じゃ、せっかくだから教えてやるよ。あ、でも混むと嫌だからあんまり広めるなよ」
「はい!」

元気よく頷いたわたしに先輩はくすくす笑う。
そのまま強雨の中をバス停まで早足で移動すると、ちょうどバスが来たところだった。
降車場で人を降ろした後らしくバス自体には運転手さん以外誰も乗っていない。
バス停で待ってる人の姿もまばらだった。
今の時間帯だと住宅街を循環して通勤客を駅まで乗せてくるのがメインなのだろう。
バス停にも申し訳程度の屋根はあるけど、この降り方じゃ足元で跳ね返る雨水までは避けられないから、すぐに乗れたのはラッキーだった。

先に乗った先輩は迷わず奥まで進んで、後ろから2番目の2人掛けの席に座った。
え? これは隣に座っていい流れ?
躊躇したわたしに、狭いと思ってるとでも思われたのか、先輩が少し身を縮こまらせるようにして詰めてくれる。

「あっ、大丈夫です! お隣お邪魔します!」
「そんな畏まらなくていいのに」

またもくすくす笑われながら、こっちもできる限り身を縮めて隣に座る。
あわよくば先輩とぴったり寄り添って座れたら、なんて欲望が頭を掠めたけど、図々しくそんな真似する度胸はないし、太ってるとか思われたら凹みきって死ねる。

「そんなガチガチだと学校着くまでに疲れちゃうだろ」
「いや、ちょっと緊張してるだけなんで」
「なんで? もしかして、俺、怖い?」
「全然そんなことないです! ただちょっと畏れ多いというか烏滸がましすぎて死ねそうというか」
「え?」
「いえ! ほんと全然何でもないんで!!」

ああ、これ絶対、挙動不審な変な女だと思われたやつ!!
時間巻き戻せるなら今の会話全部なかったことにしたい。
だって仕方ないじゃん!
中学時代から憧れ続けてた人と心の準備もなく密着イベントなんか発生したらテンパりもするでしょ!?
動揺のあまり誰にともなく心の中で言い訳をしてしまう。
恥ずかしさで居たたまれず、ますます身を縮ませていると、先輩がどこか悪戯な笑顔で覗き込んできた。

「緊張してるのは、俺にセクハラされる心配とかじゃないよね?」
「は!? 逆ならともかく先輩がセクハラとかマジ有り得なくないですか!?」
「逆ならともかく?」
「あ、いえ、その、何でもないです」

シャツ越しに伝わってくる体温だとか、仄かに香る制汗剤の匂いだとか。
そういうものを意識しすぎて心臓バクバクさせてますなんて口が裂けても言えないし知られたくない。
というか、これは口にしたら絶対駄目なやつ! まさにセクハラじゃん!
のぼせたように熱くなっていく顔を手で仰ぎながら、誤魔化すように笑う。

「その、蒸し暑くて、ちょっと汗の匂いとかしちゃったらやだなーって」
「ああ、確かに。俺、匂わない? 大丈夫?」
「全然っ、いい匂いしかしないので問題ないです! ……あっ」

ああ、またやってしまった。
もう駄目だ。
先輩とこんな風に話せたのも、並んで座ってバス乗れたのも、心の底から幸運だと思うけど――たぶんわたしはそこで運を使い果たしちゃったんだろうな。
だからこんなにも墓穴を掘りまくってるんだろう。
情けなさのあまり涙目になってるわたしを余所に、先輩が笑いを堪えるように手で口元を覆いながら肩を揺らす。
その横顔を盗み見ながら、やっぱり好きだなあ、と、わたしは密かに自覚を強くする。
こんなに挙動不審な後輩に対しても、呆れたり気持ち悪がったりするでもなく、面白がってくれるなんて、どれだけ心が広いんだろう。

「嫌われてたり、気持ち悪がられたりしてないなら良かった」
「そんなの絶対絶対有り得ませんよ」
「じゃあさ――もしかして、少しは脈あるのかなって期待してもいい?」
「え?」

膝に乗せた鞄の上で頬杖をつきながら、先輩が首を傾げてわたしを見つめる。
その瞳に、何かを期待するような、甘やかな熱が灯っているように思えるのは、わたしの自惚れ?
まるで時間が止まったかのような沈黙に耐えられなくて、でも何も言えなくて。

止まっていたエンジンが掛かって、運転手さんの「発車します」というアナウンスが聞こえて、現実に引き戻される。
まるで白昼夢でも見ていたかのよう。
あまりに現実感がなくて、もしかして今のはわたしの妄想か何かかなと思っていたら。

「全然脈がないわけじゃなさそうだし、意識してもらえるように気長にいくか」

思い掛けない言葉が聞こえてきて慌てて隣を凝視する。
そこには、挑戦的ににやりと笑う先輩の顔。
そんな顔もまた素敵すぎて、ときめきのあまり頭もクラクラし始めて。

今まで大嫌いだった梅雨が、今年から、少しは好きになれるかもと、単純なわたしはそんなことを思ってしまうのだった。





6/2/2023, 9:40:02 AM