薄墨

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虹彩には、いろんな情報が写し出される。
人種や、生まれや、育ちや、感情や、思考や。
瞳を覗きこめば、それらが全て分かってしまう。

大きな木の板に、色とりどりの瞳を持ったガラスの義眼が、それぞれに嵌め込まれている。
瞳の色で人を区別し、分類するために政府が使っている、判別器具だ。

「先生、この子はどうなりますでしょうか」
私の目の前には、生き生きと澄んだ美しい、空のように青い瞳をまん丸に見開いた、男の子が座っている。
その後ろに立つ女性は、涙を溜めた、切羽詰まった黒い瞳で、私を見つめている。

「この子は、私の親友の子なんです。両親を殺された可哀想な子なんです。…政府は、瞳の色が違えば、親子とは認めず、区分けしてしまうというじゃないですか。そんなことには…どうか……」

私は、男の子の青い瞳から目を上げる。
それから、女性の、感情を豊かに写し出している瞳は、なるべく見ないようにしてから、口を開く。

「どう致しましょう。瞳を閉ざすか、眼球を入れ替えてしまうか。どちらの処理をしても、この子の瞳の色を変えることはできます。…各々のデメリットとリスクは、先ほど説明したとおりです」

女性は生唾を飲み込み、それから絞り出した声で、こう言った。
「瞳を閉ざすほうで、お願いします」

ここは、政府の目から隠れた、違法の眼科病院。私はその眼科医だ。
今、ほとんどの医療機関は、政府によって禁止されている。
自然主義を掲げる今の政府は、どんな形であれ、人体に手を入れることを許さない。

人類を多様で自然な今のまま、彼らにとってベストな状態で保存するために、彼ら政府は、人を種類ごとに分類し、純粋な状態での保存をしようとしている。
瞳の色による人種の区別、区分けは、そういった政府の統治の一環なのだった。
そして、もうすぐこの町にも、その区分けの日が迫っていた。

私の腕にかかるとするなら、瞳の色を変えるには、二つの方法がある。

一つ目は、眼球そのものを入れ替えること。
細胞培養で作り出した、好きな瞳の色をした眼球に、目を入れ替えてしまうのだ。
これは結構な手術で、拒絶反応のリスクもある。
そして、眼球を全体ごと変えてしまうのだから、昔の、患者の自然な以前の瞳には、もう戻ることはできない。
しかし、一度成功してしまえば、政府の如何なる判別法をも突破できる。

二つ目は、瞳を閉ざすこと。
これには、遥か昔を暮らした人が、年頃の娘の姿を隠すために使っていたという、簾から着想を得て作り上げたコンタクトレンズのようなものを、瞳の前に装着して、文字通り瞳を閉ざす方法だ。
この特殊なコンタクトレンズの扉は、外からの光を内側に通すが、内側の光は外に出さない。
成功すれば、瞳の色はコンタクトレンズの色そのままに見える。
しかし、瞳の奥に秘めた感情など色々な情報を、この瞳を閉ざす簾は、全て遮断してしまう。瞳の美しさは、その簾を取り払うまで、もしかしたら一生、損なわれるのだ。

「君も、それでいいかね?」
私は、澄んだ青い瞳に問うた。
男の子は、目を見開いたまま、こっくりと確かに、頷いた。

今日の患者は、瞳を閉ざすことを選んだ。
瞳を閉じて、二人一緒にいることを。
青く美しく澄んだ少年の瞳を閉じて、瞳の色を閉じて、瞳の美しさを損ねても、二人一緒にいることを。

それがどうしようもなく、哀しく、勿体なく、そして羨ましく、私には思えた。
珍しい赤い瞳の美しさを理由に、親から捨てられ、引き離された私には。
そんな生い立ちを持ちながらも、かつての父親と同じように、瞳の美しさに魅入られた私には。

「分かりました。ではさっそく始めましょう」
私は、二人の瞳を見ないように努めながら、そう言った。
その言葉を放った途端、二人の瞳には、はっきり安堵の色が写った。

私は黙って、準備を始める。
私が今閉ざそうとしている男の子の青い瞳は、快晴の空のように美しかった。
本当に、美しかった。

1/23/2025, 11:10:06 PM