G14(3日に一度更新)

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115.『雪原の先へ』『凍える指先』『温もりの記憶』


 雪山で遭難した。
 吹雪の真っただ中で、周囲は数メートル先すら見えなかった。
 今いる場所の見当もつかず、目的も無いままひたすらに彷徨っていた。

 まさか冬の山がこんなに危険だとは……
 防寒は気を付けたつもりだが、ほとんど役に立っていない。
 がくがくと体は震え、凍える指先は既に感覚がなかった。
 奇跡でも起こらない限り――いや、奇跡が起こっても間に合うかどうか……

 もはや、ここまで……
 俺は死を覚悟した。
 その時だった。

(あれは……?)
 吹き付ける雪の向こうに、なにか茶色いものが見えた。
 天の助けか、脳が見せた幻か……
 遠いこの場所からは、判別が出来なかった。

 だが今の俺には、他に頼るものはない。
 たとえ幻であろうとも、行ってみない事には始まらない。
 俺は最後の気力を振り絞り、雪原の先へと向かう。


 そして無限とも思える時間をかけ、目的地へとたどり着いた先にあったのは避難小屋であった。
 (これで寒さがしのげる……)
 俺は内心で神に感謝しつつ、中に入る。
 屋内は外と同じくらい寒かったが、風がないおかげでかなり快適だった。

 小屋の中央には、たき火の跡があった。
 火を点けるための道具は揃っていたので、薪を放り込んで火を点ける。
 たき火の暖かさが、凍りかけていた俺の体を溶かしていく。

 だが、思っていた以上に疲れていたらしい。
 体に熱が戻っていく感覚とともに、睡魔が襲ってきた。
 (暖も取れたし、少しくらい寝てもいいだろう)
 体を横にして、夢の世界に身をゆだねる。

 そしてどれくらいのそうしていただろう……
 突然小屋の扉が、キィーッと開いたのである。
 (別の遭難者が来たのか……)
 寒気で目を覚まし、意識がまどろんだまま扉を向くと、一気に目が覚めた。
 入って来た人影は、およそ人間とは思えなかったからだ。

 人影は女性だった。
 だが顔には生気がなく、肌は病的なまでに白い。
 陰気な気配を漂わせ、フラフラと歩いている。
 なにより決定的だったのは、その女が防寒着の類を一切着ていないことだ。

 (まさか、雪女!?)
 この山には雪女伝説がある。
 『吹雪の中、小屋で寝ていると雪女がやって来て、寝ている男を氷漬けにして、自分のモノにする』という伝説が。

 それを聞いた時は、『所詮伝承だろ』と思っていたが、まさか実在するとは思わなかった。
 山に対する備えはしていたが、雪女の対策なんてしていない。

 逃げようにも外は吹雪。
 助かる保証なんてどこにもないし、そもそも体が疲れていて、少しも動けそうになかった。
 だが、吹雪の中で死ぬよりはマシなのだろう。
 温もりの記憶を抱いてしねるのだから。

 ところがである。
 雪女は横になっている俺を興味なさげに一瞥しただけで、たき火を挟んで俺の向かい側に座った。
 そして、俺なんて存在しないかのように、なにやら作業をし始めた。

 (何をするつもりだ?)
 雪女はたき火の脇に転がっていた鍋を手に取り、その中に雪を入れ始めた。
 そして十分な雪が入った後、そのまま火にかける。
 湯を沸かしているようだった。
 そして湯がぐつぐつ沸騰したのを見て、満足そうにコクリと頷いたかと思うと、傍らからラーメンの袋を取り出した。

(まさか、ラーメンを食うつもりなのか!?)
 この時点で、俺の恐怖はすっかり薄れていた。
 雪女の行動に興味津々で、自分の置かれている状況も忘れ、雪女をじっと見ていた。
 それほどまでに、目の前の光景は興味深いものだった。

 だがそれがいけなかったのかもしれない。
 不意に雪女と目が合った。
 
 そして雪女は目を見開き、
 「うわ、生きてる!?」
 と文字通りひっくり返った。

 まさかそんなに驚くなんて、思いもよらなかった。
 しかし死んだと思っていても無理はない。
 確かに微動だにしなかったもんな……

「なんか、ごめん」
 何がごめんなのか分からないが、とりあえず謝る。
 すると雪女はバツが悪そうに、こちらを見た。

「なんで死んだふりしてたんですか!
 鍋をひっくり返すところでしたよ!」
「そんなつもりじゃなかったんだが……
 どうせ殺されるし、抵抗は無駄かと思って」
「殺す?
 なんの話です?」
「雪女は男を氷漬けにするんだろ?」
「やだなあ、何時の話をしているんですか?
 今は令和ですよ。
 そんなことはしません」
 朗らかに笑う雪女。
 そこは、人間を害そうという意思は感じられず、俺はほっと胸をなでおろした。

「ところで、貴女は何をしているんですか?」
 俺が姿勢を正して聞いてみると、雪女は再びバツの悪そうな顔をした。
「……雪女って、ラーメン禁止なんですよ。
 体に悪いので」
「え?」
「だから、こうして隠れて食べているんです」

 雪女って、ラーメン食べちゃダメなのか……
 確かに、ラーメンと雪女は相性が悪そうだもんな。

 俺が納得すると、雪女は決意を秘めた目で、鍋を差し出してきた。
「という事で、このことは黙っててもらえますか?
 これ、あげるんで」

 ☆


 翌日、俺は無事に下山できた。
 長時間吹雪の中にいたので検査入院となったが、特に後遺症はないと言われた。
 雪女にもらったラーメンのおかげかも知れない。

 雪女はどうなったかと言うと、
 「あんまり外に出ていると怪しまれるんで帰りますね」
 と吹雪の中を出て行った。
 もちろんラーメンを食べてからだ。

 ラーメンを食べている彼女は幸せそうだった。
 きっと好きなのだろう。
 だから、彼女のコソコソしている様子に、少しだけ同情した。
 好きなものが、好きな時に食べられない。
 それは、とても辛い事だから。

 別れ際の寂しそうな彼女の顔を思い出しながら、俺は決意した。
 もう一度、あの避難小屋に行こうと……
 そして、あの小屋にご当地系のインスタントラーメンを持っていこうと……

 会えないかもしれないし、また吹雪にあうのもゴメンだけど、あの雪女になんとかお礼をしたいのだ。
 ラーメン好きの彼女なら、きっと喜んでくれるはずだ。

 と、そこで気づく。
 下山してから、彼女の事ばかり考えている事に……

「まるで恋しているみたいだな」
 なるほど、雪女伝説はあながち間違いではなかったようだ。
 氷漬けにはされなかったけど、暖かい手作りのラーメンによって、俺の心はまんまと彼女のモノにされたのである

「一生ラーメンを食べさせてあげるって言ったら、結婚してくれるかな」
 俺はそんな事を思いながら、スーパーへと足を向けるのであった。

12/16/2025, 1:07:14 PM