みかん
今年も段ボールに2箱愛媛から粒の揃った綺麗な艶々したみかんが届いた。
もう、今年は届かないかと思っていたが、義理堅い義父の旧友は今年も送ってくれた。何時もと同じように、送り先と宛先人の氏名を少し変えて。今年の父の日の少し前に身罷った義父の死の知らせを送った後、高齢を押してフェリーに乗り線香を上げに来てくれた、律儀な盟友は何も言わなくても暮れ前に当たり前のように綺麗なみかんを送ってくれた。取り急ぎ礼の電話を入れると「俺が生きてる間はな」との返事義父と盟友の青春は私の知るところではないが、その昔関西にホームグランドを持つていた今は何処かに身売りしたプロ野球チームのテスト生として試験を受けて共に数年間そのチームに属していたそうだ、それから義父は夢に区切りをつけて、家業を継ぎ、その盟友も実家に帰り、みかんをつくっていたそうだ、そんな義父の青春時代の断片を、義父を亡くしてから律儀でバブル世代では読むのに苦労しそうな達筆で認められた手紙で知るところとなった。そんなその人の人柄が滲み出てその人の友人までもが浮かび上がるような手紙が、みかんに添えれていた。なんとも、義父らしい盟友だと思わずにはいられなかった。義父は、お殿様のような人で口数が少なくガッツイて飲食いするところのない人だった。そんな義父らしい旧友に思わず頬が緩んだ。
そう言えば、結婚してから何十年というもの、お米も旬の野菜もワカメも海苔もみかんも柚子もすだちも栗も筍も牡蠣も柿も買ったことがないことに気づく。みんな旬になると何処かから届く、そこには、祖父母父母、義祖父母義父母そんな縁繋ぎで送られてくるものばかりで、今更ながら親たち祖父母たちの愛の中に私たちは生かされていることに気づく。
ありがたいよね、ご先祖様たちの人の縁が続いているようで。その中で自分も見守られる生きている大河の一滴なのだと改めて実感する、亡き義父の盟友から届いた綺麗なみかんを見つめて思う今年最後の日曜日だった…。
友達を見るとその人が分かりますよね(笑)
友達が居ないしなんて言う人はやっぱり居なさそうな孤独な人だし、派手好みでブランド好きな人なら外見重視の人が仲間だろうし、質実剛健な人の親友が巧言令色ってことはないだろうし、品だ品だと言いながら人を指差して「下品下品」と叫ぶ人には本当に気高い人は寄り付かないだろうし、寒い朝に母親が働いて貰ってきたものをクズだクズだと言う人にはそれだけの人生しかないのだろうなぁ(笑)
全く人は自分を写す鏡であると、艶々光る粒の揃った綺麗なみかんを手にとるとまるで顔から心までも写りそうで、80過ぎの義父の盟友の姿と共に二人が共に生きた青春の日々を想ったりするのでありました。
令和6年12月29日
心幸
12/29/2024, 1:34:35 PM