秋埜

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『生きる意味を探しに行く』と言って、この世に一人きりの一応家族であるところの兄貴が突然海外に旅立ってから半年が経った。
 先月の頭に名前も知らない土地から絵葉書が届いたけれど、それ以外は音信不通だ。絵葉書には元気だとも寂しいとも、何も書かれていなかった。まあ元気なのだろう。
 未成年の私にとって、兄がいなくて困ることと言えば主に経済的なことだったけれど、何とか高校は卒業したし就職もできた。親戚一同は奇行の多い兄に眉をひそめていた分、大人しい優等生の私には同情的で、せめて大学を出るまではと援助を申し出てもくれたけど、私はこの上なく礼儀正しい態度でお断り申し上げた。借り、というよりはしがらみを作りたくなかった。所詮、私は兄の妹なのだ。外側を取り繕うのが兄よりは少し得意なだけで。
 就職したことで、進学した級友たちと疎遠になっていくことも寂しいとは思わなくて、むしろ肩の荷が下りたようなほっとした気持ちでいるのだから、大概にろくでなしだ。連休中の誘いも適当に理由をつけて断ってしまった。
 休みの間は、一人で住むにはやや広すぎる家を掃除して、初めてのお給料で買ったちょっといい紅茶を淹れて、本を読んで過ごすと決めていた。掃除はそこそこに済ませて、お湯が沸くのを待つ間に、ふと「生きる意味ねえ……」と口から漏れた。
 そもそも、生きる『意味』って何ぞ。意味って、たとえば言葉とか、画像とか、ええと何て言うんだ、表象?そう、その表象が何を伝えようとしているか、ってことじゃないの。お前にとって生きるとは表象か兄よ。表象なら受け手が必要だ。誰に何を伝えたいんだろう、あの人。
 そういう話、好きそうな人がいたな。SNSでつながってた男の子。男の子って言っても二十歳過ぎてて大学生だった。会ったこともないから本当かどうか分からないけど。Nくんなら多分、皮肉たっぷり『生きる意味』とやらについて語ってくれただろう。今となっては、それは無理な話。彼はもう、この世に存在しない。
 最近、TLで見かけないなあと思って、何となく気になって、私とはつながっていないNくんの相互のアカウントを覗いてみて、自殺していたことを知った。確かめる方法はないけど、多分本当だろう。
 私が彼について知っていることと言えば、両親に虐待を受けていたこととか、家出して自力で働いて大学通ってたこととか、前にも一度自殺未遂をしていたこととか。一度じゃないかもしれないな。私が好きな漫画を彼も好きなことだとか。その程度。
 その程度、のつながりで、だけど時々思い出す。生きる意味とかわけ分からんこと言い出す兄のおかげで。
 お茶を淹れたら、彼が最後に薦めてくれた本を読む。古川日出男の『沈黙/アビシニアン』、アビシニアンなのに何で表紙はウサギ?な角川文庫版。古本屋の100円ワゴンで偶然見つけたのは運が良かった。何しろとっくの昔に絶版になってしまった本だから。電気ポットがカチッと音を立てて止まる。
 生きる意味とか分からないけど、読んでいる間は退屈しなくて済むだろう。



(Nへ。時々、君のことを思い出します。誰かが生きる意味とか言い出した時だとか、積み上がった本の塔が崩れてアビシニアンの文庫版が落ちてきた時だとかに)

4/28/2023, 8:37:07 AM