ハル

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この街は静かだ。
皆が寝静まった夜、沈黙のかやが降りるこの街に、私は未だ馴染んでいないように感じる。

幼い頃から住んでいた田舎からこの閑静な住宅街に出てきてもう半年も経ったというのに。

窓を開け放ち、夜の匂いを感じながらする考え事は引っ越す前からの現実逃避のようなものだ。

風が運んでくる木々のざわめきが、
多種多様な鳥のさえずりが、
鬱陶しいくらいのカエルの鳴き声が。
恋しいだなんて思う私はどうかしている。

ずっと、ずっと憧れてきたのだ。
コンビニすらろくにない田舎の、あの野暮ったい雰囲気からいつか抜け出して、木の代わりに立ち並ぶ小洒落た住宅のひとつで、オムライスなんか食べながら。
幸せに暮らしてみたいと、そう思って。

隣で眠る母が、布団を引き上げる音がした。
いけない、少し冷えすぎた。
初夏、夏の初めとはいえ、夜はまだ冷える。

隣で母が寝ていることも、まだ慣れない。

ああ、どうせなら少しだけ、この静かな街を歩いてみようか。
昼間とは違う一面をこの街は持っているのかもしれない。
それを気に入れば、この街に自分が馴染めていない、場違いだと感じてしまうような感覚も、きっとなくなるに違いない。

息を殺し、できるだけ音を立てないように窓を閉め、外に出られる格好へと着替える。
肩からかける小さなバックにスマホと財布、それから家の鍵。上着も羽織った。

鍵のシリンダーをゆっくり回して、ドアを開ける。
少しくたびれてきた靴を履いて、外に出た。

ほんの少しの逃避行、きっとバレたら怒られてしまうけど。

「いいよね。だってこんなに綺麗な夜なんだから。」

満月が煌々と夜空に輝く空を見上げてそうつぶやく。思ったより星は少なくて、少し気落ちしたけれど。そんな気持ちには蓋をする。今夜はこの街を好きになるために歩くのだ。

ワンルームの安いアパート。私と母の暮らす家。
その少し軋む外階段をおりて、私は街へ繰り出した。

1/29/2024, 4:13:08 AM