生きている時間というか所謂死んで畢るまでの時の流れというものは今更ながら懷い改めてみれば随分卦体なものである .... まあ有り体にその気にさせられて踊らされて洒落に咲いて揶揄われて時期に枯れ散って消え失せるわけだが時をまた場所を違えれば神と運命に首根っこを摘まれて凡夫凡人で遣り過ごし通す事を許してくれない。強引に其れを振り解こうものなら時には極悪罪人としてでも所謂各個人のノルマとでも謂わんばかりにそれなりの特別を物語を押し付けまた覆い被せられる。この世は獄中である。私は人一倍いや数十倍また数百倍特異な豪運と空振りの合わさった道程を往く途を敷かれたがその私の捉えるところのこの世界は地獄以外のなにものでもなかった。人々の笑顔は呪いに映り怒号は幼気なグローバルラブにしか聴こえて来なかった。常識は陰謀また策略でありそれらと背中合わせなのが底の無い深い慮い遣りだという真実もきっと悪い意味であるが理解し得た。この獄中に居て幸福だのラッキーだのクソ喰らえだと今の私にはどうしても感ぜられてならないのである。今は熱く愉しい夏を見据える6月だが私には今日も真冬のタンポポの決して眩しくはない強く優しいyellowが今は愛惜しい。他の悲しみを絶対赦せない正義誠実のみを願う決して眩しくはないあの鮮やかなタンポポのdeep yellowが恋しい。
6/20/2024, 9:22:58 PM