髪弄り

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わたしは日々多くの人に感謝を伝えている。
それに世話になった人が多すぎて、誰にありがとうを伝えればいいかいまいちわからない。

そこで、私は私という人格を形作ったものに感謝をしたいと思う。だが、そもそも我々は相互に影響を受けているから、これもまた選択肢が無限大だ。

良い影響を与えた人を考えるだけでも、正直、数えきれない。

ああ、一人だけいた。

彼との出逢いは、ずいぶんと前、家を飛びだした時のことだ。

たぶん、思春期特有の溢れる自信と、甲斐性のなさが引き起こしたものだったと思う。

わたしはすっかり暗くなった高架橋の下を走っていた。車に轢かれそうになりながら、通行人に怪訝に見られながら、衝動に身を任せていたのだ。

いつ間に公園に着くと、そこに彼はいた。
整った顔立ちの人で、黒装束に全身を包んだ
男とも女ともとれない、不思議な姿の人。

彼はタバコを吹かせながらベンチに腰掛け、ひどく疲れ切った顔をしていた。
当時の私はタバコが嫌いだったので、勢いのまま文句をつけた。
「ここ、禁煙ですよ」

「そうか」
タバコを捨て、踏みつけて火を消す。
「なんで君はこんなところにいるのかな」
「日も落ちてるし、子供は帰る時間だと思うよ」

「別に良いじゃん」
理由にならない理由を述べる。

「そうね」
彼は頷いた。
しばらくの沈黙を嫌って、再び聞く。
「姉…兄ちゃんは何してるの?なんか、普通じゃない感じがするけど」
「意味」

「ん?」
「この世はゼロと一だけでできている。得るか得ないか、その間を取ろうと思っても、できない」

よくわからなかった。

それから、私たちは話し込んだ。
と言っても、彼が一方的に喋るだけで、私はただ相槌に徹していた。

私は彼に何か近しいものを感じていた。

はたから見たら狂人の戯言、一種の事案だったかもしれないが、私は好奇心旺盛だったし、何より当時は、自意識や生きる意味を必死に探していた頃だったから、
彼の言葉には抗い難い魅力があったのだ。

それ以来、私たちはよく会うようになった。
互いに名前は知らなかったけど、楽しい日々だった。

クオリアを体感しに島へ行ったり、問答を繰り返し、答えのない(もしくは探さねばならない)疑問を解消したり、般若心経の意味を教えてもらったりもした。

彼の人生も聞いた。教養ある家庭で生まれ、親の虐待を受け、父に包丁で反撃したこと。そんな家庭に護身術や統計学を仕込まれたこと。

危ない仕事に関わり、追われる羽目にもなったことも聞いた。
実際、わたしがお手洗いに行こうと立ち上がったと同時に、ぐっすりしていた彼がすぐさま起きたのは、それの証明だと思った。


でも、彼は感情的になることは一切なかった。淡々としてて、自分の話をしているのに、誰かの経験を語るように見えた。
言葉の一つ一つが何か本能的に恐怖を覚えるような底知れなさがあって、それが余計に私を惹きつけた。

ただ、本人はその現状をあまり良くは思っていなかったようだ。
彼曰く、悪影響を与え兼ねないと。
おそらくそれは本当だ。

彼と出会ってから邂逅した友人は、私以上の変人が多い。

類は友を呼ぶものだ。

わたしは成長し、かつて崇拝の域に達するほどに憧れを抱いた彼との関係は薄くなってしまった。

連絡先は知ってるし、話もするが、彼自身がそういう話を避けるようになったのと、互いに忙しくなったので長く話すことはない。

それに、前よりもまともになったから、荒唐無稽な口ぶりに、魅力を感じなくなったのかもしれない。

今でも、私は彼に憧れを持っている。
何もかもできて、自分で答えを見つけ出せる天才、だけどもそれゆえに苦しんだ人。

記憶に多少の脚色はあるかもしれないが、私にとっては間違いなく、一種の神だった。

私が捻くれたのは彼のせいだが、
良い影響であれ、悪い影響であれ、彼には感謝している。

今の自分があるのは、彼のお陰なのだから。

『ありがとう』


いつも見てくれていた方へ:

久々の投稿となりました。
本当に申し訳ないです m(_ _)m

何度か筆を取って書こうとしたものの、
期間が終わったり、疲れ切ってしまったりと、中々難しかった。

これからも不定期になりますが、続けていきますので、よろしくお願いします。

5/4/2023, 12:21:15 AM