《記憶》
日の明けきらぬうちに、目を覚ました。
上体を起こして、枕元に置いてある剣を手に取る。
鞘から出してやると、使い込まれた刃が微かな陽の光を反射した。
「……今度鍛冶屋にでも行って、しっかりと刃の手入れを頼むか」
鞘に戻し、サイドテーブルからコップを取って水を飲む。
そして、いつものように軽装に着替えた。
中庭での朝の稽古の為だ。
日が昇って少し経つまで、素振りや過去の稽古の復習、反芻を行う。
「……ふぅ」
部屋に戻る前に水場に寄り、頭から豪快に水を被る。どうせ着替える、問題はなかった。
髪を拭いて、クローゼットから騎士団の制服を出そうとして——その隣にある、畏まった衣服を手に取った。
今日は正装を身に付けるのだった。
式典や夜会など公の場に出席する際に着用を義務付けられている。
騎士であれば正装は、普段の制服の上に、自身の階級を示すエンブレムと勲章の付いた上着を着る。
第一騎士団であれば剣と盾、第二騎士団であれば盾、第三騎士団であれば剣のエンブレムである。
第一騎士団は身分の差異はなく完全実力主義の精鋭揃い、第二騎士団は基本的に次男以下の貴族のみで構成、第三騎士団は平民のみの構成であることが皮肉られている気がしなくもない。そんなエンブレムなのだ。
だが、今身に付けているそれは違った。
良く言えば貴族らしい、悪く言えば動きの制限されるものだ。
上衣から何から、触れればその生地の質の良さがわかる。
「平民がまさか、こんなにも上等な服を着ることになるとはな……」
そう独り言ちて袖を通す。
コートも羽織ったところで、剣を履く為の理由を考える。
本来は絶対に帯剣してはいけないだろう。
それでも、如何な状況に陥るやも知れぬ場所へ行くのに、剣を手放す訳にはいかないのだ。
騎士としての性だろうか。
「……忘れるところだった」
靴も履き替えなくては。
明らかに上等な革のブーツに足を突っ込み、いつもは部屋の隅に追いやられている面長の鏡の前に立つ。
「……誰なんだか」
いつもとは全く違う装いに、いつも通りの顔が浮いて見えた。
金の目がこちらを不機嫌そうに見ている。乱れた銀の髪に気付き、紐で纏める。金の細工のおかげで幾分かマシに見えるだろう。
光を受けて、コートから緻密な意匠が現れる。これの為にどれだけの時間が掛けられたのだろうか、分かる由もない。
窓の外を見ると、玄関前に馬車が一台停まっていた。一介の騎士を迎えるにしては、豪奢な馬車だ。
「迎えに行くって押し切られたんだよな……」
目立つ為固辞したのだが、向こうは聞き入れてはくれなかった。なんでも、こちらが呼んだのだからせめてこれくらいはさせて欲しい、との事だ。
実際は直前の逃亡防止の為だろう。馬車に問題が発生したとか言えば、免れられる可能性はある。
御者が門を叩く寸前、
「こちらは準備ができている。問題ない」
「では、こちらへどうぞ。男爵様」
そう呼ばれると違和感しかないが、この男性に言っても仕方がない。
「すまない、よろしく頼む」
反射で出た溜め息を隠すよう軽く頭を下げて、馬車に乗り込んだ。
窓に映る顔は暗く、これから茶会に出かける顔とは思えない。
結局着けたベルトに下げられた剣に自然と手を伸ばす。
「……いや、もう、違うのか」
騎士としての己は望まれなかったのだ。
男爵の爵位を受けたのも、揶揄い半分実力半分だろう。
平民上がりの上級騎士に対しての扱いは、そんなものなのだ。
茶会の会場に着いたところで、警戒しながら馬車を降りた。
大方、主催者たる大公爵閣下が護衛を配置しているのだろうが。
必要がないと分かっていても。騎士としての自分の記憶を、追いかけてしまう。
3/26/2025, 7:06:39 AM