侵食

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「おい、足を使えって言ってるだろ。」
監督の声だ。バットを肩に担ぎ、釣りあがった目をサングラスで隠しながら、僕に言った。
僕は素直に、言われた通り何度もやってみるが、そう上手くはいかない。
「全身を使って打たなきゃヒットなんて打てねぇんだよ。足から使え足から。」
オラついた口調は、僕の心を締め付ける。僕だって、やろうとしてるのに...。
結局、3時間の打撃練習の末、一度も褒められることはなかった。悔しいと言うよりは、怒りの方が上回っている。しかしそれも、自分の弱さゆえなのだろう。
僕は今年で小学6年になる。つまり、今シーズンがラストチャンスなのだ。一度もレギュラーになったことがないし、まともなヒットすらも打てた試しがない。どうにか活躍したいけど、諦めてしまいたい自分もいる。
「来週なんでしょ?最後の試合。」
お母さんの声でハッとした。何度も何度も来てくれると思い込んでいたチャンスが、もう、あと一度しかないということに、僕は驚愕した。小学3年から始めた野球も、「明日こそは」という生ぬるい意気込みでしか打ち込めていなかった。やらなくちゃいけない。最後、最後。この言葉が僕の脳内で何度も渦を巻き、僕を攻めたてる。僕は見ていたテレビを放棄して立ち上がり、バットを握った。
そこからの練習は、いつもよりも精を入れて取り組んだ。今から頑張ったって、もう遅いだろ。そんな自分の声も聞こえてくる。でも、どうしてもやらなきゃ行けないような気がする。最後くらい、かっこよく終わりたい。
「お前、体重移動が全くできてねぇぞ。全身で打てって言ってるだろ。」
どれだけ頑張ったって、上手くなんてなれない。素振りだって毎日、何百回も繰り返してるのに、監督から浴びせられるのは批判だ。
「バッティングはもういい。下半身が弱いんだから、端でスクワットしてこい。」
分かった。分かったよ。もういっそ死ぬほど追い込んで、ギャフンと言わせてやるよ。

そして試合当日。僕はレギュラーにはなれなかった。僕の出番がないまま、9回表、監督が僕の方を見た。
「行けるか。」
「はい。」
そして、代打として僕の名前が告げられた。ラストチャンス。ラスト...!
打席に立ち、握りなれたバットを思い切り握りしめ、相手投手を睨む。投手との距離がものすごく近く感じる。僕はこの緊迫感に耐えようと、歯を食いしばり構えた。
一球目、僕の内側にくい込んできたストレートには、手出しをすることが出来なかった。ストレートコールが場内に響く。まずい。反応しなければ。
二球目は必死に食らいつき、何とかファールにすることが出来た。しかし、ツーストライクと追い込まれてしまった。
三球目、これで打てなかったら、もう、終わり。
大きく足を上げ、僕の方に放り込まれたボールは、やけに緩やかに見えた。分かるぞ、タイミングの取り方が!
僕は監督に言われてきたとおり、膝を落として下半身を回し、体重移動をしながらバットを出す。
そして、インパクトで力を...入れる!
聞いたことのない、激しい金属音が、僕の耳に響く。それほど大きい打球では無いが、ライナーでショートの頭を超えた。ヒットだ!
一塁へと走り出す僕を、歓声の嵐が包む。やった!僕は全速力で走りながら、ふとベンチを見た。すると、監督は相変わらず釣りあがった目をサングラスで隠しながら、小さくガッツポーズをしていた。最高の瞬間だ。いつまでも止まらない歓声と僕の足音を聴いて、ふと思った。
時間よ...止まれ!

2/16/2025, 5:11:52 PM