星はコンペイトーじゃなかったし、雲も綿あめじゃなかった。
三日月のハンモックや、虹のすべり台も幻だった。
子どもの頃は確かに鮮やかに色づいていた景色が、今では現実という影の膜に覆われる。
いつからか仄暗く深い海に魅せられて、自分中の都合のいい陳腐な現実だけを宝石のように扱い、抱え込んでいた。
この先、意図して空を見上げる機会が何回訪れるだろうか。
打ち上がった花火を見ては、身の丈に合わないきらびやかな夢や目標を掲げたところで、無惨に砕け散るだけだとあざ笑うのか。
遠距離恋愛をしている織姫と彦星を探しては、白鳥に変身したゼウスに掻っ攫われてしまえと嫉妬に狂うのか。
理想と現実の距離感に失望することもなくなった。
空っぽな心に無理やりなにかを詰めたところで、今さら満たされるわけもない。
現実という薄っぺらい紙幣を詰める、ただの貯金箱に成り下がった。
見苦しく「いい人」を取り繕いながら、ひとりむなしく酒をあおる。
そんな灰色の日々を送るものだと思っていた。
目の前に、恋焦がれ続けた天使が舞い降りてくるまでは。
*
暑さを冷房でごまかして、リビングのソファでゴロゴロしていたらいつの間にかうたた寝をしていた。
ぽこん、と携帯電話に彼女から連絡を知らせるポップアップが表示される。
なんの気なしに画面を開くと、近くの公園の敷地に咲いているヒマワリと彼女の照れくさそうな笑顔が映った写真だけが送られてきた。
「はああああっ!?」
インカメ無加工という画質で撮っているのにもかかわらず、このかわいさには感心した。
彼女の自撮りスキルが残念なことが悔やまれる。
晴れ渡る青空、悠然と咲き誇るヒマワリ。
最高のコントラストと、最高の顔面をなぜ活かそうとしないのか。
こうしてはいられないと玄関まで走ったところで、彼女が帰ってきてしまった。
公園から全力で走っててきたのだろう。
汗だくで息があがり、頰も紅潮していた。
控えめにいってキスしたい。
絶対に怒られるから、彼女がシャワーを浴び終わるまで我慢するけど。
「……ただいま。よかった、……、間に合った」
「おかえりなさい。俺はなんにもよくありません。間に合ってません。なんですか、あれ」
「私の顔、好きなんでしょ?」
「当然です」
息があがったままの彼女は、カラッと笑ってスニーカーを脱いで俺の横を通りすぎた。
「少しでも夏の苦手意識が薄くなるようにおすそ分け」
「は……?」
振り返ったときには彼女はもう風呂場に行ってしまった。
彼女に夏が苦手だなんて話したことはない。
確かに夏季にデートをする機会は少ないが、それは彼女自身が忙しすぎるからだ。
言葉にも態度にも出したつもりはない。
人の機微に雑な彼女に暴かれていたことは意外だった。
携帯電話に送られた写真をもう一度目を向ける。
わざわざ自撮りをしてまで俺の心を軽くしようとしてくれたのだ。
「あー……好き……」
太陽よりも眩しくて、夏の空よりも大らかで、ヒマワリよりも明るい彼女に、今日も俺は恋をする。
『空恋』
7/6/2025, 11:58:19 PM