しぎい

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母が敬虔なカトリック信者です。話を聞いていただけますか。
……少しだけ。はい、それでもいいてす。こんな時間に駆け込んできた私も私ですから。

――今朝、ある男子生徒の死体で発見されました。その男子生徒は私が担当しているクラスの生徒の一人です。
第一発見者は、朝早くから掃除に赴いていた用務員です。

今日は特別寒かったですね。ですから早朝の校庭には朝もやが立ち込めていました。
その用務員の方は、はじめ巨大なハチの巣がぶら下がっているように見えたのだとか。その後に死体とわかったらしいのですが、そのときの用務員の方の心中を察すると、申し訳ないやら羨ましいやら……。

……あ、羨ましいというのは語弊がありますが。
申し訳ありません。なにせまだ発見から一日も経っていませんから。私もかなり気が動転しているようで。曲がりなりにも国語教師が情けない。

私は思います。冷え冷えとした朝もやがかかる中、散りかけの桜の樹の下でハチの巣よろしくぶら下がる彼は、どんな絶景にも勝る美しさだったことでしょう。想像するだけで……やめましょう。神の御前で。

彼の死の報せが入ってからというものの、私の存在が彼を追い詰めていたと、周りの教職員は口には出さずとも私を白い目で見てきました。

有象無象の生徒がひしめく中、確かにその男子生徒の美しさはいつも私を捉えて離しませんでした。そして彼もまた、私を常に視界に捉えていた。
私たちは間違いなく惹かれ合っていた。一線を越えるのにそう時間はかからなかった。

ですが考えてもみてください。わざわざ苦しい自殺の道を自ら選んで実行した彼の苦悩を。
つまり自殺に至るまでの苦悩すら、彼という人間を最も美しく完成させるための演出に過ぎないということです。それは彼を最も美しく見せる桜の下を死に場所に選んだことからも明らか。
彼を最も美しく見せる季節を知っていますか? それは桜が咲き乱れる春です。

そんな彼の選択を否定することは、彼の人生そのものも否定することに繋がる。そのことを連中は分かっていない!

……真実の愛を全うしたという自負はあるのです。短い間ですが、彼に愛を与えられたという自信も。ですが、私の中の良心の部分が「自首しろ」と叫ぶ。

慈悲深き神。どうか私の頼りない背中を押してください。良心を蹴って、前を向いて再び歩き出す勇気を私にください。

4/5/2025, 3:53:59 AM