青山
旅には二種類ある。
行って帰る旅と、行ったっきりの旅だ。
前者の代表はいわゆる旅行で、観光旅行だったり、仕事の出張なんかもそう。
大げさに言えば毎日の通勤もそうかもしれない。
後者の代表は誰もが同じく歩き続けている時間という道をゆく旅、人生だ。
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現代日本の旅には、準備はいらない。
旅先で誰かに渡すお土産はいるかもしれないが、着替え、食べ物、さらには鞄だって、自分にお金があり、旅先に店さえあれば調達は容易だ。
新幹線に乗れば東京から九州まで行くのも簡単だ。
ただ座っていればいい。
私はお土産と風呂敷包の箱を持って、新幹線に乗った。
*
九州でさらに別の新幹線へ乗り換え、途中の駅からローカル線に乗り換えて、そこからバスに乗り換えた。
やがて見えてきたのは、店もまばらな田舎町だ。
ここまで行くと、お金があっても何でも揃うなんて無理で、途中の大きな駅に隣接したデパートを利用すべきだろう。
( 泊まるのは大きな駅近くのホテルにしよう。花やお酒を買ったあの駅がちょうどいい。)
帰りのことを考えながら、抱えた風呂敷を見る。
中にはやや縦に長い立方体の木箱が入り、さらに中には陶器の壺が入っている。
しばらく歩くと、あまり手入れがされていないのだろう、やや草が茂った墓地が見えてきた。
時間より少し早く来たのに、そこにはすでに寺のお坊さんと石材屋が待っていた。
「 本日は、よろしくお願いします。」
お互いに頭を下げる。
御経を上げてもらい、手を合わせる。
自分の手で抱えてきた母の骨壺を墓に入れた。
納骨。
母の納骨は、葬儀からしばらく日が経っていた。
葬儀の後、しばらく自宅にお骨を置いていたが、忌引から職場に戻ると仕事詰めで休みが取れなかったのだ。
線香の匂いとお経の声、それに虫の羽音が墓地の音の全てだった。
見送るのは、自分一人だ。
父は先にこの中に入った。
その時は母と一緒に納骨した。
もう家族のいない、独り身の私では、見送る人はいないだろう。
今日の天気がいいことが、私にとってせめてもの救いであった。
( 自分が死んだら、葬式から納骨までしてもらい、墓の永代供養とか、頼めるんだろうか。)
手を合わせて母のことを思いながらも、自分のことばかり考えてしまう。
( 納骨のときにこんなことまで考えるのは良くない。)
思い直して、母の旅路を思う。
母の実家側の両親は広島で、そこの墓に入っている。
広島に生まれ、東京に来て、死んだらお墓は夫の実家である九州の墓に入る。
行ったり来たりだ。
自分が死んだら、誰が東京からここまで運んでくれるのか。
( いっそ、墓参りしやすい近くに墓地を移すか。)
その思いつきは、存外いいことに思えた。
( しかし、この墓の中にいるご先祖様たちは、亡くなって何十年も経ってから、更に旅をするのか。)
そう思うと、いいことに思えた改葬案が、途端に不謹慎なことに感じられた。
むしろ、自分ひとりになったのだから、仕事を辞めてこの辺りに引っ越したらどうか。
体も無理が効かなくなってきたし、もう何年かしたら、定年前早期退職も不自然ではない歳だ。
お墓を引っ越すか、自分が引っ越すか。
(御経が終わったら、改葬 についてはお坊さんに聞いてみよう。)
判断には情報が足りないと、仕事のように考える。
手を合わせたまま、今度は本当に母の冥福を祈った。
自分の旅路の果ては、まだ来ない。
ただ、そろそろ考える時期にはなってきたのだ。
1/31/2024, 10:22:47 PM