【ここではないどこか】
『お会計14000円です。』
『ちょうどで。』
トレーに乗せられた10,000円札と1,000円札4枚。
ちょうど確認してから後部座席のドアを開ける。
俺はしがないタクシー運転手。
今日も雨の中、本日30人目の乗客を降ろす。
渋谷のセンター街。
俺の活動範囲は都心部から郊外までどこへでも。
最近は波に乗っていて、指名されることも多々ある。
運転が丁寧で心地いいとか、近道を知ってくれていて大事な用事に間に合ったとか。
そんな言葉をいただいたら、この仕事のやりがいを感じる。
そう思っていると、空車にしているランプに気付き本日31人目の乗客が手を上げていた。
この雨の中傘もささずに突っ立っている。
俺は停車と同時に常備しているタオルを取り出した。
『お嬢ちゃん、大丈夫かい?』
乗客はの声掛けも、立派な運転手の仕事。
タオルを渡すと、しっとりと濡れた手で受け取ってくれた。
濡れそぼった髪の間から見える黒く禍々しい瞳。
背筋が凍るのを感じながらも、プロフェッショナルの笑顔は崩さない。
『どちらまで?』
『、、、福井県東尋坊まで。』
何も答えることができない。
否、答えられない。
観光かと思い込んでも、こんな雨の中観光しようとする人は中々いない。
考えられる可能性はひとつのみ。
彼女は自殺の名所に行こうとしている。
止めなければ。直感的にそう思った。
こんな10歳前後の女の子が命を絶つにはまだ早いんじゃないか。
『、、残念だけど、そこには案内できない。東尋坊は観光の名所だけれど、同時に自殺の名所でもある。お嬢ちゃんはどう見ても後者だ。悩みなならゆっくり聞くから。な?』
そう言い聞かせる様に話しかける。
よく見たら女の子は裸足で、歩いて来たのか小さな足が傷だらけで汚れていた。
顔にも腕にも青あざが目立つ。
様々な憶測が頭の中で飛び交うが、女の子に話を聞かないことには何も始まらない。
『どうして?』
不意に女の子がポツリと呟いた。
『此処はとても暗い。先が見えないの。もう涙も泣きたい気持ちも全部なくなっちゃった。たった2文字の言葉が頭の中でグルグルしてるの。とにかく、此処じゃない何処かに行きたい。何も、何も考えなくていいところへ。』
初めて彼女と目が合った。
たった2文字でも表現できる言葉。
"絶望"
この世の全てを諦めた様な、そんな目だった。
マリアナ海溝よりも深く、そしてドス黒い。
俺は無意識に目を逸らしてしまった。
彼女の瞳に取り込まれそうだったから。
『だ、だとしても、、』
だとしても、何だ?
俺が彼女にかけてあげられる言葉が見つからない。
自殺もしたことない人が、絶望すらしたことない人が、そんなこと言えない。
『俺からは何も言えない。でも、、このタクシーに乗ったからには、俺が後悔しない方へ運転するから。』
女の子の声も聞かず、逆に俺が泣きそうになりながらアクセルを踏んだ。
しばらく走り続け、着いたのは海辺の崖。
乗り越えられない様柵も施されていて、此処から飛び降りるという選択肢は考えられない。
『雲の上はいつも晴れ。』
雨の中制服が濡れるのを気にせず、女の子と共に空を見上げる。
『分厚くかかる雨雲の上は、必ず晴れてる。当たり前のことだけど、俺はこの言葉に救われるんだ。』
例え今辛くとも、次は必ず楽しいよ。
そう言う俺の顔は、泣いていた。
『フフッ、、顔と言葉が合ってないよ。』
女の子が泣きながら笑った。
俺もつられて泣きながら力なく笑った。
救えた、、のかな。
こんな俺でも、しがないタクシー運転手でも、小さな命を救うことができたのかな?
『行き先の変更は?』
女の子は晴々とした顔で言った。
『此処ではない、何処かへ。』
6/27/2024, 10:51:46 AM