薄墨

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角の丸いガラスのかけらを、透明なジャム瓶に詰めた。
色とりどりの貝殻も、その瓶に詰め込んで蓋をした。
蓋にも、小さな二枚貝や余っていたビーズで飾りつけた。

海の思い出を目一杯詰め込んだ、そのジャム瓶を胸にしっかり抱えて、私は山道を歩いていた。

頭の上の枝がサラサラといって、その音に合わせて、木漏れ日がキラキラきらめいた。
道の側を流れる小川の水のきらめきが、風に揺れて、まぶしかった。

木漏れ日と水面のきらめきに挨拶みたいに、胸に抱いたジャムの瓶も、キラキラきらめいた。

私はすっかり惚れ惚れしていた。
昨日まで苺ジャムが入っていたこの瓶を洗い、乾かして、きらめく宝石箱のように作り替えたのは、他でもない私だったから。
私のお手製のガラスだらけ宝石箱は、私の腕の中で、生ぬるく温められながらきらめいて、私には世界一高価なお宝のように思えた。

急に惜しくなって、私は立ち止まり、ジャム瓶をきつく抱きしめた。
瓶の湾曲したガラスをそっと撫でた。
そして、瓶の内側に閉じ込めてある潮の空気に思いを馳せた。

このジャム瓶を、私は弟にあげるつもりだった。
身体の弱い弟は、今年も海に行けずに、空気の綺麗な山のおばあちゃんの遺した家で、お母さんと一緒に療養しているはずだった。

弟は、正直言って、あまり可愛い奴ではない。
弱い身体で、思うように動けない分のストレスが溜まっているのか、いつも不機嫌で、生意気で、狡賢くて、そのくせ、その身体の弱さから、いつも両親の寵愛を一身に受けていた。
私は、弟が憎らしくて、でもどうしようもなくて。
本を読んでいて初めて【不公平】という言葉を見た時なんか、真っ先に弟を思い浮かべるほどだった。

やっぱりこの瓶をあげるのが惜しくなってきた。
お父さんは、「お母さんも弟もきっと喜ぶぞ。良いお姉ちゃんだな」と私の頭を撫でたけど。
でも私はお姉ちゃんって呼ばれたいわけではなかったし、弟が喜ぶかも、ちょっとよく分からなかった。

…それに。
内緒だけど、この瓶は、お母さんに甘えてみせて、ニヤリとこちらを笑う、生意気な弟に、海に行った自慢で見せびらかしてやろうと思って作ったやつだし。

こんなに凝ったのは、ガラスのかけらを詰めた時の綺麗さに、ちょっと張り切っちゃっただけだ。

小川がキラキラきらめいた。
木漏れ日のきらめきが、私の手を優しく照らした。

でも…
私は瓶を抱いたまま、立ち止まった。
弟と過ごした一日のことを思い出したから。

あれは、私がまだ学校に入る前、保育園に通っていた時のことだった。
あの日は、特別忙しくて、弟も一緒に預けられた。
私は張り切ってお姉ちゃんをして、でもうまくいかなくて、結局、私たちは、離れて座って何も話さず、じっとお迎えを待った。

その日に限ってお母さんは遅かった。
外では、雷が唸っていた。

気がつくと、弟が私の手を握っていた。
目が合うと、弟はそっぽを向いた。
その目が軽くうるんでるのを見て、私は弟がお母さんのいない環境がほぼ初めてなこと、弟は大きな低い音がいちばん嫌いなこと、私と違って弟は初めて保育園に来たのだということを思い出した。

その時、私は初めて弟がかわいそうだと思った。
私がついてなきゃいけないんだ、と思った。
小さな手の、全然痛くない握力が、可愛く思えた。

弟の、ちょっと体温の低い、小さな手を握り返した。
弟はそっぽを向いたままだった。
でも、それで良いって、思えた。ちょっと胸の辺りが温かい気がした。

あの時の、弟の手の低い体温を思い出した。
…やっぱりこのジャム瓶は、弟にあげよう。
喜んでくれなくても良いや。私はお姉ちゃんだもん。

ジャム瓶を優しく抱いて、一歩を踏み出す。
木の葉がそよそよ言って、枝の間からきらめきが降ってきた。
側の小川が、眩しいきらめきを水面に浮かべて運んでいた。
ジャムの瓶の蓋に貼り付けたビーズが、キラキラきらめいた。

9/4/2024, 1:58:22 PM