なっく

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[お題:誰にも言えない秘密]
[タイトル:鏡の中では]

 高校一年生になった津々楽都にとって、最も忌むべきものは鏡だ。
 母に選んで貰った洗顔クリームを使い、都は顔を白色で満たした。しっかりと肌に馴染ませつつ、必要な皮脂までこぞって落としてしまわないよう、素早く落とす。
 そして化粧水、乳液、クリームと一通りを終えるとパッと顔を上げる。
 洗面所の鏡に映る都の顔は、相変わらず普通の顔だ。
 平凡な女子高生の顔。二重で、童顔で、少し膨れていて、思春期ニキビにはそれなりに抗えている。そんな普通な顔を、都は睨みつける。
 気に入らない。
 そんな思いの丈を目力に変えて繰り出すと、鏡の中の自分も同じ顔をする。鏡の中の顔が崩れると、都は少し気が晴れた。
 少し断っておくと、これは都が自分の顔を嫌っているという事ではない。そんな風に思うのは自分の母に対してあまりにも失礼で、その実、都は母を尊敬していた。
 だからこそ、順調に成長を続ける自分の顔が気に入らなかった。都には自分の顔が時限爆弾にしか思えない。
 鏡に映る都が問う。果たしてお前の顔は、一体どちらの母親に似るのだろう?

 津々楽奏恵と津々楽美珠がパートナーシップ宣誓を行なったのは、都が産まれる三年前だ。それを聞いたのは都が小学生の頃、自分の名前の由来を調べる宿題を出された時だ。
「『都』は人で溢れているから、色んな人といっぱい関わって欲しい、って意味があるのよ」
 そう言ったのは奏恵の方の母だ。美珠もうんうんと強く頷いている。
 当時の都は、深く考えずにこれを聞いていた。同性パートナーの両親の口から出る『色んな人』が、その実どんな意味合いを持っているかなんて、小学五年生に分かるはずも無かった。
「まぁ、ぶっちゃけると都が元気なら何でもいいんだけどね」
 美珠のその言葉に、奏恵は「それじゃ宿題にならないでしょ」と返す。けれどその顔は優しさに溢れていて、決して美珠の言葉を否定するものじゃない。
「他にどんな名前がありましたか?」
 都は担任が示した質問リストに従って尋ねた。
「他? 他ねぇ・・・・・・」
「あ、ほらあれは? ミエとか」
「ミエ?」
 ミエについて、美珠は適当な紙にスラスラとその漢字を書いた。
「『美恵』って、お母さんたちの名前?」
「そう。二人から一文字ずつ取って、美恵。都が産まれる前はこうしようって言ってなかったっけ」
 曖昧に尋ねる美珠に対して、奏恵はきちんとその時のことを覚えているようだ。
「その名前考えてたのもっと前だったと思うけど・・・・・・確か、パート──じゃなくて結婚した時に、子供できたら一文字ずつ取ろうみたいな話してて・・・・・・」
「あー、そうだっけ」
 盛り上がる二人に対して、都は何故か寂しさを覚えた。何か質問して混ざらなきゃ、という気持ちが沸々と湧き上がる。
「えと、結婚っていつしたの?」
「・・・・・・そうねぇ、都が産まれる三年前かな」
 実のところ、厳密には結婚ではないのだが、それを都が知るのはもう少し後になっての事だ。
「それじゃあ・・・・・・」
「うん?」
 言葉を詰まらせる都に、奏恵が心配そうに顔を見る。
「・・・・・・いや、やっぱり何でもない」
「そう? 宿題はこんな感じでいいの?」
「うん。大丈夫」
 その実、都には他に気になることがあった。それは最近、友人の神志名鈴音に言われて気になり出した事だ。

「都ちゃんのお母さんってどっちなんだろうね?」
「どういう事?」
 放課後、小学校からの帰り道で鈴音の質問に都は困惑してしまう。都は周りに自分の両親がどちらも母親である事は隠していない。友人たちも特段気にするような素振りを見せなかったので、都がその手の話題で気に病んだ事は無かった。
 だから、この時はまだ鈴音の質問の意図は全く分からなかった。
「いやさ、ほら、保健の授業で習ったじゃん。子供って男女から出来るんだって、都ちゃんはどうなんだろうって」
「え、あー。確かに、どうなんだろう」
 この時になって、都はようやく理解した。今までは父親が居なくても特段気にすることは無かったが、それは父親が全く存在していないという話ではない。自分が存在しているという事が、父親がいる証拠だった。
 だとしたら、ようやく鈴音の疑問に立ち返る。
 都を産んだのは、一体どちらなのだろうか、と。

 そんな疑問を抱えながら、都は中学生になった。この時になると、都は父親については寧ろどうでもよくなってきていた。
 何かあったから、というわけではない。寧ろ何もなさすぎて、興味を無くしていた。鈴音もあれ以降父親について言及する事は無かった。中学生にもなると、それがどれほどセンシティブな話題であるかに気付き始めたのだ。
 けれど、いくら話題を避けていても、当人である都が逃げ切れるわけが無い。友人たちが美容やファッションについての話をするので、当然、都もそれを知りたがった。必然的に鏡の前に立つことが増えて、それは自分の顔をより意識させた。
 小学生の頃からずっと成長した自分の顔。まだまだ大人らしくはないその顔に、しかし確実に大人に近づいているという感覚があった。
 母親に近づいている。どちらかの母親に。
「私って母親似らしいんだけど、都はどう思う?」
 鈴音のそんな言葉を思い出す。彼女の母親の写真を見せられて、そう尋ねられたのだ。確かに鈴音と彼女の母は似ていた。
 鈴音にとっては何気ないその質問が、都の心に波風を立てた。

 どちらの母も間違いなく都を愛している。都もまた、母親の事が好きだった。だからこそ、どちらが産んだのかを言わない言わない母親たちに不信感を募らせた。
 母親たちにとっては、どうでもいい事なのかも知れない。都は間違いなく二人の娘で、どちらが産んだのかは重要じゃない。養子縁組や再婚などで、血の繋がっていない親子なんてごまんといる。
 そして間違いなく、都の遺伝子は片方からしか貰っていない。血の繋がりをどうでもいいと切り捨てるには、都はまだまだ年月が足りない。特に身体の成長と性を意識する度、どうしても頭に母親たちの顔が浮かんだ。

 ある日、都は意を決して二人に尋ねた。
「私はどっちの子供なの?」
 反抗期というのもあったのかも知れない。それがどれだけ残酷な質問か、その瞬間まで全く気づいていなかった。
 奏恵はそれを聞くと、途端に泣き崩れてしまった。ごめんなさいと繰り返す奏恵に呆気に取られていると、美珠が都を優しく抱きしめた。
 美珠がどんな顔をしているのかは分からない。ただそうされていると、何故か自分も涙が出てきそうになった。
「どちらが産んだのかなんてどうでもいいでしょ?」
 そう言った美珠に、都は言葉も返せず頷いた。
 ようやく都は気づいた。どちらが産んだのかなんてどうでもいい、というのは母親たちの願望だった。努めてそうでなくてはならないのだ。二人の娘であるというのなら、遺伝子に拘ってはいけない。たとえ心の端で気にしていても、口に出してはいけない。都が二人の娘だというのなら、絶対に。

 それ以降、都はその話題を口に出さなくなった。都は奏恵と美珠の娘である、という事だけが重要だと自分に言い聞かせたのだ。それは大変な事では無かった。どちらなのかを知っている母親たちに比べると、全くと言っていいほど大変じゃない。
 けれど遺伝子は残酷に真実を告げる。大人になる程どちらかに近づく。鏡の中の都が、誰も言わない秘密を暴こうともがいている。鏡の中の自分は二人の娘ではなく、どちらかの娘だった。
 都は高校生になった。より大人になったが、どちらに近いかは意識しなければ分からない。自分が童顔である事に都は感謝した。
「行ってきます」
 都は二人の母に告げる。母二人も同じように返した。
 それを聞くと、都は玄関の扉を開ける。二人の顔は見ないまま、都は学校に向かう。
 朝には母の顔を見ないのが通例になっていた。鏡を見た直後だと、どうしても意識してしまうからだ。

 通学途中、道の端に猫を見つけた。特徴的な白と茶の真鱈模様の猫だ。その後ろには子猫がいる。白地に上から黒のソースを垂らしたような模様。
 都が近づくと、二匹は一目散に逃げ出した。二匹で知らない家の塀の中へと入っていく。
 都はそれに満足して、改めて学校に向かった。
 

 
 

6/6/2023, 4:16:51 AM