郡司

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文学などの物語や、映画やテレビのドラマといったものなら「ハッピーエンド」はある。「バッドエンド」もある。

物語のハッピーエンドが喜ばれるのは、カタルシスとセットになっているからだろう。気分良く物語への感情移入から現実感覚へ帰還できるし。多くのハッピーエンドは、人の心を元気にする力がある。

しかし、ハッピーエンドでも、昔の子供ゴコロに「めでたしめでたし」が何故めでたいのかわからない物語があった。シンデレラとか、白雪姫とか、「とにかくどっかの王子をつかまえたらオッケー!!」みたいな流れのものだ。疑問なのは、「その王子様って良い人なの?」とか、「全然知らない人とすぐ結婚しちゃうの?」とか、たくさんありすぎる「王子様と結婚してめでたしめでたし」な物語の、それが「幸せな結末」たる根拠の不明さだった。

『シンデレラ』は、ある小さな貴族の父親が、娘達の教育のために書いた物語だとか聞いた。日本の『源氏物語』の中にも、結婚によって磐石の後ろ楯を得るという部分がある。結婚をゴールと見なし、権勢強く富のある相手との結婚に、家の命運を賭けていたケースは世界各地に残る話だ。なので物語の設定にもしばしば使われる。映画「タイタニック」でも、ヒロインの初期状況は、母親の意向によって“お金持ちに売り飛ばす如き婚姻の約束”がある。「幸も不幸も金次第」という考えがそれらの背景にあるようだ。

逆に、映画「愛と青春の旅立ち」(…だったと思うんだけど)みたいに、結婚式場から恋人をさらって走るラストの“ハッピーエンド”もある。シンプルに「好きな人と一緒が幸せ」という流れだ。若く身軽で自分が抱えるものは自分自身のみなら、それに勝るものはないだろう。その後の幸福はそこから創ってゆくものだから、スタートでもある。

ハッピーエンドは、その先に続く「今」を創造する流れのスタートだ。



3/29/2024, 11:54:50 PM