【君と歩いた道】
雨が降っていた。
六月の終わり、梅雨の湿気が街にまとわりつく。
駅のホームに立つ佐伯蓮(さえき・れん)は、スマートフォンの画面を見つめていた。
そこには、未送信のメッセージがあった。
「会って話したい。最後にもう一度だけ——」
指先が震える。
送るべきか、やめるべきか。
そのたった一文が、彼の胸を締め付けていた。
—
蓮と真琴(まこと)が出会ったのは、二年前のこの季節だった。
大学のサークルで偶然隣の席になり、どちらからともなく話し始めた。互いに本が好きで、映画が好きで、静かなカフェを好むところも似ていた。
「蓮くんって、ちょっと不器用だけど…優しいよね」
「真琴の声、落ち着くんだよ。なんか、ずっと聞いてたい」
自然と引き寄せられ、気がつけば一緒に歩いていた。
あの並木道も、夜の図書館も、閉店前のパン屋も、全部が二人の「記憶」になっていった。
でも——
「ねぇ、蓮…もう、やめない?」
そう言われたのは三ヶ月前だった。
別れ話は静かだった。泣きもしないし、責めることもなかった。
ただ、真琴は言った。
「好きだけじゃ、乗り越えられないこともあるよね」
蓮は何も言えなかった。
仕事が忙しくなって、連絡の頻度が減って、すれ違いが増えた。
けれど、本当は——彼自身が、彼女の痛みに鈍感だった。
—
画面を見つめたまま、蓮はゆっくりと「送信」を押した。
電車が入ってくる音とともに、スマホが震える。
「いいよ、最後に。明日の午後、あの道で」
真琴からの返信だった。
—
翌日。
雨は上がり、夕方の光が街を柔らかく染めていた。
蓮は並木道のベンチに座り、待っていた。
ほどなくして、真琴が現れた。
変わらない笑顔。でも、どこか距離があった。
「久しぶり、蓮」
「…あの時、ちゃんと向き合わなくて、ごめん」
真琴は黙っていた。
蝉の声が遠くで聞こえた。
「やり直したいとか、そういうんじゃない。ただ——あの頃の君に、ちゃんと謝りたかったんだ」
真琴はうなずいた。そして言った。
「私も、あの頃は気づけなかった。蓮が、言葉にできない不安を抱えてたってこと」
二人はしばらく、何も言わずに歩いた。
並木道の葉が風に揺れ、光がその隙間からこぼれていた。
別れの言葉は、どちらからも出なかった。
それでも、二人はわかっていた。
今日、ここで歩いたこの道が、最後の時間になることを。
—
帰り道、蓮は一度振り返った。
真琴はもう見えなかった。
けれど、不思議と涙は出なかった。
それはきっと、ようやく彼女と“同じ道”を歩き切ったと、心が知っていたからだった。
6/8/2025, 4:38:43 PM