萌葱

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「美しい」
読んでいた小説の途中でふと、目に飛び込んできたこの言葉。
思い返せば、「美しい」なんて言葉を僕はほとんど使ってこなかった。
例えば太陽の光を受け、キラキラと輝く海面を見たとする。
無数の星空が煌めく夜空を眺めたとする。
そんな瞬間に立ち会う度に、感嘆する僕の口から溢れたのは「美しい」ではなく「綺麗」だった。
綺麗は美しいと引き換え、これまでに何度も使ってきた。
しかし、「美しい」。何処か大袈裟で小っ恥ずかしく、「綺麗」よりもさらに上を行く言葉。


僕は筆箱から蛍光ペンを取り出して「美しい」に線をひいた。
途端に「美しい」はどの言葉よりも存在感、異彩を放つ。このページを開いて、一番に目に飛び込んでくるのはきっと「美しい」だ。ほかの字に目を移そうとしても、「美しい」が僕を捕らえて離さないだろう。

…まるで、彼女みたいだ。そう思った途端に僕の背後から高く澄んだ声がした。
「図書室の本に落書きしてるの?怒られちゃうよ」
振り向くと、分厚い本を抱えた彼女が可笑そうな笑みを浮かべて立っていた。
「ああ、…別にバレないだろ、こんな本僕以外に誰が開くんだよ」
僕が本を閉じ、蛍光ペンの先でコツコツと古めかしい表紙を叩いて見せた。
「私が君の次に読むかも知れないじゃない」
彼女は控えめに笑い声を立てながら、僕の向かい側の席に腰を下ろし、持っていた本を開いた。そうなると彼女はすぐに本の世界へと入り込み、当分帰ってこない。
僕は真正面から、本を読んでいる彼女を見つめた。

窓から入り込んだ風が彼女の髪をさらさらと揺らしている。白く華奢な手がページを捲っていく。
ただそれだけの事なのに、僕は目が離せなくなる。
…こういうのを「美しい」というのだろうか。

1/16/2023, 9:47:05 PM