兄の部屋には本棚があった。
香織の部屋にはない、オークでできたイギリスアンティーク調の本棚だ。背丈は100cm程で、均等に三段に分かれている。
棚の一番上には草花のような模様が彫られていた。
濃い茶色のその本棚は、兄の部屋には似つかわしくない、重厚でそれでいて繊細な存在感を示している。
「なぜ」
と思わなかったわけではない。なぜ自分の部屋にはなく、兄の部屋にだけそれがあるのか。
ただ口にはしたことはない。
なぜならたとえ自分の部屋にあったとしても、そこに入れられるのは“本ではない何か”なのは明らかであったからだ。
兄は本が好きだった。
ジャンルは問わずに様々な本がその本棚に所狭しと収まっていた。
「香織が読みたいものがあれば、いつでも好きなものを持って行っていいからね」
兄はよくそう言っていた。
そんなとき決まって香織は、三段ある一番上の一番右側にある本を手に取るのだった。
その本は作者が書いた短篇を集めた本だった。
初めて手にした時、“無造作に積まれた本の上に黄色い檸檬がポンと置かれた”その表紙に惹かれたのだ。
「ほんと好きだね、それ」
そして思いを馳せるのだ。
いつか、えたいの知れない不吉な塊が私の心を終始圧えつけているようなそんな焦燥感なんかがある時に、兄の部屋の本棚の本を無造作に積み上げて、黄色い檸檬をぽんと置いてみよう、と。そしてそれが兄の部屋にしかない、あの綺麗な本棚を巻き込んで爆発するのをこっそり見ていよう、と。
香織はそう妄想して笑みを浮かべるのだった。
6/16/2023, 5:01:48 AM