蝋燭に火を灯す。
揺らめくその炎で香に火をつければ、ゆらりと立ち上る煙が形を作り、やがて緋色の妖の姿になった。
「まさか貴女に呼ばれるとはね」
「藤白《ふじしろ》さんを探せって教えてくれたって聞いたから。どうなったのか知る権利はあるかなって」
蝋燭の炎に視線を向けたまま呟く。
「色々あって、他の皆はまだ庭の中でやらないと行けない事があるって言ってた。だからあたしが話せるのは、クガネ様が消えた時までだけどね」
妖は何も言わない。その沈黙に甘えてゆっくりと話し出す。
「クラスに転校生が来たの。少し不思議な子」
自分達にとっては、彼女が始まりだった。
それからたくさんの事が起きた。
聞こえる声。送られた枯れない藤の花。
座敷牢とそこにいた二人の男の人。
変わり果てた叔父の屋敷。
そして、クガネ様。
要領の得ない、妖の話とは比べものにならないほどお粗末な話。
それでも話を止めるつもりはなかった。誰かに話を、クガネ様の事を知っていてほしかった。
話ながらも神に言われた事が繰り返し頭を過ぎていく。
妖は誰からも認識されなければ消える。消えてしまえば残るものなど何一つないのだと。
だからクガネ様に作られたという藤白も、彼に作られたという篝里《かがり》もクガネ様と共に消えてしまった。
そしていずれは自分達の記憶からも消えてしまうらしい。
「それで黄櫨《こうろ》がクガネ様のために歌って。クガネ様が笑って目を閉じたら、そのまま光になって消えたの」
ふぅ、と息を吐く。とても長い話になると思っていたけれど、話し方が下手なせいか思っていたよりは早く終わってしまった。
変わらず妖は何も言わない。多くを見知っている妖だから、既に知っていたのだろうか。
「クガネ様が消えた事で、屋敷は元に戻ったし、皆無事だった。でも皆クガネ様を忘れてた」
屋敷の主である叔父ですら、覚えてはいなかった。今回の事は離れに留まるたくさんのナニかが原因だと思われていた。
誰からも忘れられてしまうのは、とても寂しい事だ。
けれどあの場にいた自分以外は、それでいいのだと言う。
彼を正しく覚える者がいないのだから。離れの奥の怖ろしい存在として認識されていくよりは忘れられ消えて行く方がいいと。
それを否定するつもりはない。歪んだあの姿のままでいるのは苦しい事だと思ってもいる。
けれど如何しても。如何しても考えてしまうのだ。
長い間一人きりで、人々に誤解され歪んでいきながらも必死で守ろうとした優しい神様が、結局最後まで一人きりで消えていく結果を変える方法が本当はあるのではないかと。
「馬鹿な子ね。怖い目に遭ったというのに、その相手に心を砕くなんて」
静かな呟き。紡がれた言葉は呆れを含んではいるものの。その声音はどこか優しい。
妖に視線を向ける。以前出会った時の気怠い空気はなく、ただ柔らかい笑みを浮かべて手招いた。
「別に怖くない。クガネ様は怖くなかったよ」
妖の側に歩み寄りながらも、怖くはないのだと、繰り返し言葉にする。
クガネ様は怖くない。今は心からそう思える。
親友と二人、終わらせるために歌った時に流れ込んできたクガネ様の記憶が、それを伝えてくれている。
藤の花は、守ろうとして送られた。これ以上彼を見ないように、声に応えないように。僅かに残る彼の意識が、自分という魔から守られるようにと送らせた。
呪われた人を呼び寄せるのも、元はその呪いを代わりに取り込んで返していたらしい。けれど体に溜めた呪いが限界を超えて制御が出来なくなり、人の認識によって存在が歪んで。呪われた人を呼び寄せる意味を失って、行為だけが残ってしまった。
そしてその行為と、篝里に逢いたいという気持ちと。僅かに残る術の記憶が合わさって、人にも、況してや篝里にもなれない泥の塊がいくつも出来てしまった。
「クガネ様は怖くない。あたし達が怖がったから、クガネ様が怖くなってしまったんだ」
妖の招く手に触れて、はっきりと伝える。
順番を間違えてはいけないのだと。
「本当に馬鹿な子。真っ直ぐで甘い子に、一つ教えてあげましょうか」
抱き上げられて、妖の膝の上。
しなやかな指が差す方へ視線を向ける。蝋燭の火が妖の指に応えるように、ゆらりと揺れた。
「人が終を迎えて行く先がどこなのか、知っているかしら。全てが始まる場所であり、終わる場所でもある常世と呼ばれる世界」
指先がくるり、と円を描き。それに合わせて火の揺らめきが大きくなっていく。
「人はまた始まるためにそこへ還っていくのよ。藤白も篝里も還っていったようね。おまけを連れて」
揺らめく火の向こう側に何かが浮かび上がる。
三人の男の人の後ろ姿。
足取り軽く。真ん中の背の高い男の人の手を、二人が引いている。黒い鳥が三人の頭上を旋回し、戯れに誰かの肩や頭の上に止まっては、再び空へと飛び立っていく。
その姿はどこか見覚えがある気がした。
「少し違うけど藤白、さんと、篝里さん?じゃあ真ん中の金色の髪の男の人は」
「そうよ。あれが黄金《くがね》。藤白も篝里も、混ざるもののない姿がそれよ」
声は聞こえない。表情も見えない。
けれども皆笑っているように見えた。そう思えるくらい後ろ姿だけでも、楽しそうだった。
「あの二人は黄金に甘いもの。無理矢理にでも一緒に連れて行く事にしたようね」
くすくすと、妖は笑う。指を下ろせば蝋燭の火は消えて、白い煙が一筋上っていった。
「クガネ様は一人じゃないんだね」
「一人にさせてはもらえないのよ。過保護なのも考えものよね」
それくらいが丁度良いのではないだろうか。
少なくとも皆が笑っている。寂しい思いはしていないのだから。
振り返り、妖を見る。
鈍色に煌めく瞳が星のようで、とても綺麗だった。
「煙もそろそろ絶えるわね。戻るわ」
「お香ならまだあるよ。蝋燭はまた点ければいい」
「何が言いたいのかしら?」
笑みを浮かべたまま、妖はわざとらしく首を傾げる。
知っていて敢えて聞く、その意地の悪さに苦笑して。膝から降りて蝋燭に火を灯し、香に火をつけた。
振り返り、妖と同じように笑ってみせる。
「折角なんだから、何か話を聞かせてよ。一人で退屈しているの」
妖に、望む。
この美しい緋色の妖が、消えてしまわぬように。
20241120 『キャンドル』
11/20/2024, 2:02:45 PM