天国と地獄(足掻いたところで)
同棲一年目。
初めて二人で迎える夏は、暑かった。
「猛暑猛暑って聞き飽きたわ。ていうかそれ聞くだけで体温1℃上がってんだろ、これ。絶対気のせいじゃない」
ソファでうだうだと呟く彼に彼女は無言で近づくと、真っ赤に染まる列島の横で涼しい顔をしているおねえさんの画面をぷつりと消してしまった。
「聞きたくないなら消しなさいよ」
―――暑さで苛ついているのは察するに余りある。
八つ当たりするなよ、と心の内だけで吠えてみるが、口に出そうとは思わなかった。
さらに体温が上がる面倒な羽目に陥るのは目に見えている。
彼は渋々引き下がったが、しかしあろうことか、次の瞬間彼女は別のリモコンに手を伸ばした。
「は?」
ピッ、と。
短い機械音と驚愕の一言が重なる。
そして容赦なく、それまで快適―――とは言えないまでも適度に温度調整を保っていたそれは、無情にもその動きを止めた。
「何してんだ、エアコン止めるとか! 正気か!?」
「仕方ないでしょ、電気代高いんだから。節約節約」
「死ぬぞ!?」
「何言ってんの大袈裟な。さっきの天気予報、明日からでしょ? 今日は30℃越えてない」
さらりとそう言い窓を開け放つ彼女に、彼は食ってかかろうとして―――やめた。
昨日『家計対策』と称して家計簿アプリをスマホに入れていたのを不意に思い出したのだ。
「………地獄だ」
ぼそりと呟いたのが彼女の耳に入ったのか否か。
彼女はつと冷蔵庫に足を向け、それを取り出すと彼にはいと差し出した。
―――手には、アイス。
「………。節約じゃねーの?」
「いらないの?」
「頂きます」
ははー、と恭しく頭を下げてそれを受け取る。
素直でよろしい、との返事に俺はさっきの地獄の気分もどこへやら、ご機嫌でそれを袋から取り出した。
「はい」
「ん?」
―――徐に掌を突き出され、俺はその意図がわからず困惑する。
「お買い上げ誠にありがとうございます」
………。
どうやら俺の修行は始まったばかりらしい。
―――この悪魔に対抗する術はあるのだろうか。
俺は溶け出すアイスの存在も忘れて震えた。
END.
5/27/2024, 2:39:56 PM