《誰かのためになるならば》
最近、どうも彼女の様子がおかしい。
僕の公務も立て込んでいる物はない為、時間の不規則さによる睡眠不足などが原因ではない。
が、ここのところ食欲もあまりないようで、いつもの覇気が感じられない。
しかし、理由を聞いても「何でもない」の一言で済まされてしまう。一体何があったのか。
「…すみません、ちょっとだけ出ますね。」
そう断りを入れて、彼女は部屋を出る。
「はい、いってらっしゃい。」
彼女を監視している立場ではあるが、この場合、僕は性別上付いては行けない場所なので部屋で待機している。
これまでの経験上、彼女が逃げ出したりなどはしていないのでここは彼女の行動を信頼している。
そういえば知る限りでは、こうして化粧直しに行った直後が消沈の具合が一番大きい。
…失礼な行為とは思うが、彼女の為にも恥を忍んで。一つ確かめておいた方がいいか。
そう判断し、化粧室手前の廊下までと決めて、彼女が向かったであろう方向へ気配を消して行く。
すると手前の曲がり角向こうから、複数の女性の声がした。
「…何よあの女、生意気にも程があるわ…。」
「あれだけ言ってもあの方から離れないなんて図々しい。」
「どこの馬の骨とも知れない女をお側に置くだなんて、あの方の品位が貶められるだけですのに…。」
「ここは是非とも彼のために…。」
なるほど、状況は漠然とだが把握出来た。
彼女が僕に伴っている事を気に入らない者達が、攻撃の矛先を向けやすい彼女にその鬱憤をぶつけていると言ったところだろう。こちらの事情も知らず、呑気な事だ。
まず、集団で個人を攻撃するというその心根が気に入らない。更に悪いのは、監視による帯同を実行させている僕にではなく、それを余儀なくされている弱い立場の彼女に目標を定めているところだ。
端的に言えば、弱い者いじめだ。腸が煮えくり返るようだ。
都合の良い事に、声の主達はこちらへどんどん近付いてくる。
僕は曲がり角すぐの影で待ち構えた。
「ですから次は…きゃっ!」
角から飛び出てきたのは三人。いずれもそれなりの高官のご令嬢だ。
だが、これを見逃しては本人達の為にもならないだろう。
「次は? 彼女にどうなさるおつもりなのか。そして、どのように僕の為にならないのか。
あちらでお聞かせ願えますか?」
腹の奥から湧き上がるどす黒い感情を押し殺し、僕は笑顔で女性たちに化粧室の方とは反対側の曲がり角を指差し、そう告げた。
「何、短時間で済みますので。」
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その後、僕は執務室に戻った。
まあ相手は箱入りに近いご令嬢だけあって、話は数分で済んだ。
ご令嬢の一人が僕に懸想していて、一緒にいる彼女を追い出したいと毎日口頭による攻撃を仕掛けていたらしい。
まず間違いなく、彼女が最近様子をおかしくしていた原因だろう。
取りあえず『僕の任務への妨害と見做される為、このままでは自分達への処分だけでは済まない』とやんわり言い聞かせたので、今後の被害は無いだろう。
が、集団による卑怯な手口。そして、何故彼女はこの事を話してくれなかったのかという疑問。
これらが入り混じり、複雑な心境になったところで彼女が戻ってきた。
「すみません、今戻りました…。」
やはり先程もダメージを受けたのか、微かにではあるが窶れが深まっているように見える。
僕は彼女の目の前へ行き、疑問を口にした。
「あの女性達の事、どうして話してくれなかったのですか?」
すると、彼女は驚いたように大きく目を見開いて動きを止めた。
しばし後、彼女の喉元が上下に動き、辛うじてといった風に口を開く。
「…なんで知って…?」
「申し訳ありません。失礼とは思いましたが、先程曲がり角の所まで様子を見に行ったもので。」
理由は何だ。どうして相談してくれなかったのか。
焦燥に駆られた僕は、被せるように続きを早口で告げる。
「貴女を監視していると言っても、貴女を不当に扱うつもりはありません。何故知らせてくれなかったのですか?」
そうすれば。守れたのに。
しかし、途端に彼女の顔は真っ青になった。
「…え? あの、ど、どこまで聞いていたのですか?」
ん? この反応は一体どういう事だ?
先程とは全く別の意味で様子がおかしくなっているじゃないか!
これではまるで、彼女の方が何か起こしたような風だ。
「は? いや一体貴女達はここ毎日何を話していたのですか?!」
ずっと抱いていた焦燥感の上に、状況が全く見えなくなった混迷も合わさり感情がかき回されて口調が強くなってしまった。
それに驚いた彼女はビクリと肩を震わせて、目を泳がせながらおずおずと話し始めた。
「あ、あのですね…言わなかったのはいつも忙しい貴方の手を煩わせたくなくてで…」
…まただ。
あの夜、彼女がこっそりと僕に命を預ける決意をしていた時もそうだが、何故ここまで自らを慮らず僕を労るのか。
貴女は、闇に魅入られし者の筈なのに。
「そんな気を使わなくていいです。不当な扱いをそのままにしておくほうが心配になりますので。」
話してくれなかった理由を聞き、少しホッとしている自分がいる。
少々気持ちが軽くなったところで、話の続きに集中する。
「…で、ここ毎日化粧直しに行くたびにあの女の子達に貴方の側から離れろ、どうせ卑しい身分の者だろうとか言われてまして…」
卑しい身分の者。
ここで、僕の中の何かが弾け飛びそうになった。
人間に貴賤など本来はない。
それに僕の乳母…本当は実の母だが、は、その卑しいとされる身分の出だ。
だが、贔屓目無しに高潔な精神の持ち主だった。その故郷である砂漠の村の人々も、辛抱強く優しい人達ばかりだった。
だから僕は、彼らを守ろうとしたのだ。彼らのためになるなら、自分の立場も惜しくはなかった。
そんな人達を卑しいと呼ぶとは何と醜悪な価値観だ。
その醜い価値観を、彼女に押し付けた?
しかも集団で?
やはり見逃すべきではなかったか。
「や! 私は全然気にしてないんですけど! ずっと無視出来てましたし! でもさすがに今日は言ったんです!!」
危うくあの女性達への怒りが表に出そうになったところに、何やら想定外の展開が。
言った? 貴女が? 何を言ったのか?
「こんな影で固まってネチネチとしか物も言えないなんて貴方が一番嫌うやり方だって! 身分が卑しいという見方も地雷だから!
これがバレたら絶対に嫌われるって!! 貴女達の為になりませんよいいんですか、って!!」
彼女は真っ青になりながらそう叫び、こんなの脅しみたいじゃん…だから聞かれたくなかったのに…と憔悴し始めた。
何だ。
彼女は、自分できちんと跳ね返していた。
その言い分も至極真っ当で、申し分なくて。いっそ清々しくて。
腸を満たしていたどす黒い物はその清々しさに全て浄化され、暖かく柔らかい物に変化した。
その心地良さに驚いて、思わずくつくつと笑いが漏れた。
「…呆れましたか?」
何故だろう、彼女は少し不安げに聞いてくる。
「まさか。本当にすっきりしましたよ。」
最高の気分で答えれば、彼女は憑き物が落ちたかのように安堵した明るい笑顔を向けてくれた。
「だけどもう、僕の為になんて無理はしないでくださいね。」
これからは、そんな貴女を憔悴させたくはないので。
7/27/2024, 2:54:23 AM