私は私が嫌いだ。
小さい頃からこれだけは何も変わらない。
それどころか時が経つにつれ、この思いは次第に膨れ上がっていく。
大人は言う
大人しく座れ。人の言う事を聴け。点数がダメだ。もっとラケットを強くもて。高望みをするな。
現実を視ろ。
私は嫌いだった。
人の頑張りをまるで無かったことにするようなその叱責を。自分なりに考えた行動の行く末を、まるで観てきたかの言うその言動を。何より、それらを無意識のうちに肯定してしまう己の愚かさが大っ嫌いだった。
私は弱い子供だ。
一抹の不安を常に感じている。
期待があれば重圧に感じ、なければまた自分を蔑む。
功を立て、成績を上げろ、人生に意味を付けろ。そんな脅迫観念が、頭から離れない。焦燥感や恐怖感じると同時に逃げればいいと考える自分がいる。
そんな弱さを変えたくて、テニス部にしわくちゃな入部届を出した。
その前まではしなかったような栄養食を取り、部活の無い日は自主練に励んだ。誰よりも早くテニスコートに入り誰よりも遅く出た。
手にできた豆はいくつも潰れ、気づけばテニスに浸る日々を送った。
それから月日が流れ私は、高校最後の女子テニスシングルスでのインターハイ。決勝戦という所まで登り詰めた。
周りの視線が集まる中、緊張で呼吸さえ詰まることがあったのを覚えている。握りこんだラケットはいつもより震えていた。応援を背に受けいよいよ試合は始まった。
序盤中盤終盤、相手とは拮抗した実力だった。最終セット、両者共々疲労困憊の中力を振り絞った。試合全体で見れば1時間超えていた。燦々と焼け付くあの日、あのデュースでの一点。次失点すれば負けるあの状況下。
相手も相当の疲労が来ていたのだろう。それまでの烈しいロングラリーの応酬が途切れる。相手の打ち返したボールは高く打ち上がりネットへと飛来した。私は走ったただ相手へと打ち返すために、視線をボールにロックをかけた。私はあの時を忘れることは無いだろう。
飛来したボールはネットの上を滑り落ち、地面から2cm程跳ねたのちに私の足元に転がった。
瞬間周りから歓声が吹き荒れる。
相手の無茶な返し方もあったのだろう。それにより急激にかかった右上方向の力がネットにより遮られ、跳ねるほどの力がほとんど吸収されたのだ。
私はその日からテニスを辞めた。
結局のところ、私は変われなかった。
驚異的な成長を見せても。人一倍頑張っても何も残せなかった。
また幾許か時は経つ。
大学を卒業し、教鞭を振るう身となった。中学生相手に四苦八苦しつつも、どこか実感のない日々を過ごしていた。
そんなある日、生徒からの相談を受けた。成績はそこそこと言ったもので人間関係も悪くない。テニス部に所属し、情熱を注いでいたが中学最後の団体戦で県大会8位という結果を残したというのが私が持っていた彼についての情報だ。
その日の彼は、どことなく覚悟を決めたような面影で、ほんの少し頬を赤らめていたその顔はやけに印象深かった。
「それで、相談って?」
伽藍堂な教室に私の声が響く。
夕日の暖色が部屋全体を包みどこか神秘的だった。
「志望校を横島高校に変更したいんです」
この時期ではよくある話だ。県内で1番の偏差値というところと、この子の成績では芳しくない所を除けばだが。
「ちなみにどう言った理由で行きたいのかな?」
その問いかけに対し彼は更に顔を赤らめ、恥ずかしげに答える。
「その...あの、プロのテニスプレイヤーになりたくて」
なるほど。確か横島はテニスの強豪校。毎年全国大会で猛威を奮っていると聞いたことがある。
「正直言ってあまりおすすめは出来ないね」
「そうですか...」
ある程度想定はしていた様で反応は薄いがそれでも暗い顔は隠しきれていない。
「成績も学力も圧倒的に足りてない。この成績の水準で行くとかなりの高得点、それこそ平均合格点よりもプラス50点くらいを取らなきゃ苦しいね。」
彼の表情が少し歪む。それもそうだろう。今まで部活に情熱を注いできた彼がテニスに関係あるとしてもどう勉学に励めるだろうか。
それでも意を決して言葉を紡いでくる。
「ここで妥協したらダメなんです。初めてなんです、ここまで熱くなったものは。諦めたくない!」
潤んだ目で弱々しい声で、でもはっきりとした声で私に言う。
ここで彼を説得し、自分が目指せる範囲の中で選ばせるのが教師としては得策なのだろう。だが私は彼の表情をどこか自分に重ねていた。
「わかった」
その言葉に彼の目が輝く。
「ただその前にご両親との話し合いからだね、まだ言ってないでしょ?」
「うぐ...」
少し言い淀んだ彼だが直ぐに顔を切りかえて見せた。
「ありがとうございます先生」
「いえ、大人として当たり前のこと、それよりほら教室を出るよ」
「え、今ですか...」
唖然としている彼に
「時間は有限よ特に学生のうちはね。それに学力向上や親御さんとの話し合い、いくら時間があっても足りないよ」
「はい!」
その言葉に返ってきた満面の笑みはとても眩しいものに感じた。
そそくさと帰宅の準備をする彼を横目にこれから起こる彼の苦難を想像しほろ苦い顔をする。
「先生!」
全てを吹っ切れたような声が耳を揺らした。
「またあした!」
「はいまたねー」
その日の夜、私は少し高いお酒を飲んだ。
3/31/2025, 8:50:00 PM